カテゴリ:読 書 録
イタリア語を勉強するなら、イタリアについての常識もなきゃぁ、と思って、Teach Yourself シリーズの World Cultures: Italy を読み始めた。
またまた不明を恥じる話になるのだが、ムッソリーニ退陣の経緯をまったく考え違いしていた。 てっきりドイツのヒトラーと同様、連合国軍に攻められて降伏するのと同時に世上から消えたのだと思っていたのだが、そうではない。 ムッソリーニは、なんと昭和18年7月25日にファシスト党の大評議会で不信任を突きつけられ、これに基づき国王が辞任を命じ、そして失脚と同時にイタリア政府によって逮捕される。 君主制が機能して新政府が組閣され、昭和18年9月に連合軍に対して降伏する。 降伏したら、当然そこからイタリアはひたすら出家した武士のように自重の日々を送ったのであろうと思えば、さにあらず。 イタリアはこんどは当座の勝ち目もないのにドイツへ宣戦布告する。 ドイツ軍は「うらぎりもの」のイタリア軍をあっという間に蹴散らし、ローマ・ナポリの線まで南下。 イタリア国王政府はそのさらに南方へと逃げる。 ああ、この辺の経緯の差がドイツとイタリアの戦後の国際社会における待遇の違いをもたらしたのだなぁ、と納得した。 それにしてもイタリアの決定的局面での「軽やか」な反転ぶりは、昭和20年8月15日にみごとに連合国側につき直したタイを思い出させるではないか。 人口や国土で何倍も差があるわけではないのに、ドイツ国家、日本国家は限りなく「重く」、イタリア国家、タイ国家は限りなく「軽く」思える。 「重々しい」ときもあれば「重苦しい」ときもあろう。 「軽やか」などきもあれば「軽々しい」ときもあろう。 「重」と「軽」のどちらが幸せかは、その時代によるのだと思うけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Aug 21, 2005 03:36:30 PM
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