エスカレーターの段に2人並んでちょこんと立って右側をふさぐのは、たいていが空気を読む能力を失った「おば(ぁ)さん」である。
動く歩道で横並びに立って通路をふさぐのも、かなりの確率で「おば(ぁ)さん」だ。 その姿を見るたびに「老いて、ああはなりたくないものだ」と思う。 そういう心理が共有されるせいか、けっこうこの「左側に立つ」ルールは徹底している。 ところが、ときによったら下には待ち人があふれているのに、長ぁいエスカレーターの左側だけに列ができ、ほんらいそのエスカレーターのもっている運搬能力の半分しか使えていないこともある。 みんながエスカレーターの段にじっと立つのであれば、1段に2人立ってエスカレーターの運搬能力を最大限に利用したほうが心地いい。 しかし、その臨機応変がいちばん難しい。 ちなみにぼくは、右側がすーーっと空いているエスカレーターをみると、そこをすいすい歩いて上がる口である。 せっかくみんなが気をつかって作ったスペースは、有効活用しないともったいないからね。 (注) エスカレーターで「じっと立つ位置」。東京は左側、大阪では左側、台北でも左側。(だれがどう決めたの?) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
万博のときに国際ルール(?)に則って…という説と、
商人の街だから、という説をよく聞きますね。 (江戸は刀がぶつかるから云々、大阪はそろばんが抜きやすいように云々というもの。 しかしそこまで江戸の町に侍が溢れていたとも思えず、 ちょっとクエスチョンマークのつくところ。) エスカレーターといえば、上りきった/下りきったすぐの地点でのおしゃべりや(若い男女に多し) &「どうも、どうも」のおじぎ合戦(男性に多し)もちょっとドキドキします。 ええ、カタワラニヒトナキガゴトシです。 後は…そうですね、無言での追い越し(煽り?) も見ていてはらはらするかも知れません。 ※少し大きめの荷物@やや追い越し「者」線にはみ出している を持った人を荒々しく押しのけるように通り抜けたり。 そんなときは「一言、声をかければいいのに…。」と思ったりもします。 エスカレーターも公共の場所、 みなが気持ちよく、安心して利用できるよう 常に気&心を配れるようにしたいものですね(*ノノ)コジンテキニハデンシャデシンブン&アシヲヒロゲテスワルヒトガイチバンキニナルカモー (Dec 9, 2007 12:40:52 AM)
武士道より江戸仕草の方が重要なのかも、と思ったりします。
20パーセント足らずのエリートが立派でも、 残り80パーセントの庶民が無頼ならば、 秩序正しい社会なんて成立しませんもの。 落語などにも江戸庶民の倫理観の高さは感じられますね。 で、エスカレーターですけど、 マイケル・プロンコさんの本を読んでからというもの、 日常の些細なことが意外とすごいことかも、 と思ったりします。 エスカレーターもしかり。 右側を空けて列を乱さずに並んでいる東京人の、 かたくななまでに真摯な姿を見ると、 数百年の伝統のなせる技だなと感激したり。 右側にするか、左側にするか、いつも迷いますけど、 その日の気力と体力と時計との戦いでしょうか。 (Dec 9, 2007 01:48:25 PM) |
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