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カテゴリ:ニャン騒シャーとミー八犬伝
義賊の螺良猫団の首領螺良のもとで手下をまとめる佐飛は、息子の茶阿より犬塚信乃が何かの事件に巻き込まれたようだという知らせを受け、武蔵の国からここ甲斐の国へとやって来たのだ。 茶阿から信乃が戸板で運び出され、一緒に気を失った若い女が籠に乗せられるのを目撃した話を聞き、道節と毛野はもちろん彼らを救い出すことに異論はなかった。 そこで佐飛は計画を話した。 ここは泡雪家の屋敷前。 女が一人たたずんでいた。 人々の往来はあるものの、ごった返すほどのものではなく、そこにたたずむ姿はひと際目立っていた。 人々もその女に好奇の一瞥を送りながら過ぎて行く。 特に男たちは。 色白の顔に艶やかな唇。 程よい切れ長な目には吸い込まれるような瞳。 鼻筋はすっと伸び、その先で優雅にまとまっている。 細い顎に少し紅を称えた頬がなだらかに続く。 富士額の下に、黒く長い眉が天上になびく雲の様に漂う。 髪は黒髪。肩から腰へたおやかに流れる。 女は荒れ野に咲く一輪の牡丹の様に、すべてが人目を惹きつけずにはおかなかった。 やがて泡雪の屋敷の門が開き、泡雪奈郎が馬に跨り家来を引き連れ、猪狩りへと姿を現した。 当然泡雪にもその女は目につく。 女には目のない泡雪ならなおさらのことだ。 妾の数も両手の指に余る。 泡雪が通り過ぎた後、一人の家来が女の元に駆け戻り、何やら言葉を交わして彼女を屋敷に招き入れた。 猪の狩場に現れた泡雪は、まだ出かけに見た女の姿に気はそぞろで、屋敷に戻った後のことで頭はいっぱいだった。 家来たちは山奥に消え、遠くから猪たちを泡雪のいる平地へと追い立て始めた。 だが泡雪はまだ馬に跨ったまま、女との妄想に耽っていた。 身の丈五尺を超える大猪が、目前に迫っていることに気づいたのは、恐怖にいななく馬の鳴き声を聞いてからだった。 彼は慌てて矢を取り出し、弓につがえようとしたが大猪は馬を突き飛ばし一旦走り抜けた。 馬から転げ落ちた泡雪はどうにか体を立て直し、弓矢を拾いあげようとしたが、その時大猪は眼前に迫っていた。 泡雪は恐怖のあまり目をつむった。 しかし、覚悟した衝撃は起きず、何やら物音に恐る恐る目を開くと、驚くべき光景が目に入った。 一人の大男が、その大猪を頭上に高々と抱え上げ、気合もろとも五間先に投げ飛ばした。 怒った猪は、激しく身を打ち付けたものの、荒い息を吐きだし、後ろ足を何度も何度も後ろに蹴りだし、溜まった力を全身にみなぎらせ、男の方へ猛進して来た。 男は仁王立ちし、すぐ目の前に迫った大猪から素早く身を交わし、気合の声を張り上げて腰の刀を抜き、大猪の心臓めがけて突き刺した。 大猪は勢い余って、たじろぐ泡雪の眼前に迫ったが、そこで力尽きズサリと音を立てて崩れ落ち、そのまま果てた。 脂汗を垂らした泡雪は、しばらく呆然と立ち尽くしていたが、やがて気を取り戻し、そばに立つ大男を見上げつぶやいた。 「天晴。お主、我が家臣にならぬか?」 男はギョロリとした目を泡雪に向けたが、すかさずひざまずき刀を脇に抱えて首を垂れた。 山を下りる泡雪の後ろには、我が手で打ち取ったように巨大な猪が大木に吊るされ、六人の家来に担がれて町の中を練り歩き、その後にあの男が静かに続いた。
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