カテゴリ:銀輪万葉
今日は我が親愛なる偐山頭火君との銀輪万葉の旅。朝8時20分に自宅を自転車で出発。8時50分に近鉄小坂駅前にて偐山頭火君と落ち合い、懐かしの日本基督教団小坂教会の前を通って、銀輪万葉の旅は始まった。コースは山頭火君まかせにて、ヤカモチは彼の後をついて走るだけ。生野区のコリアンタウンを通って、四天王寺に立ち寄る。池の亀を横目に、但馬山平苦似麻呂氏から教わった、春の季語「亀鳴く」のことなど語りつつゆく。
天王寺公園の入り口をかすめ、阿倍野神社を経て、阪堺線に沿って南下、住吉大社へ。 堂ヶ芝廃寺跡(左) 北畠顕家公像・阿倍野神社(右) 住吉大社・反り橋 南海電車・浜寺公園駅の前の公園入り口を入って、右手の松林の中に、目指す犬養万葉歌碑・高師の浜万葉歌碑があった。この碑は元々は高石市綾園1丁目14番地の成徳記念病院の正面玄関前にあったが、平成15年10月に堺市南区の泉北藤井病院の敷地内に移転された。そして、今月初旬に浜寺公園内に移設されたのであるが、この碑は泉北丘陵にあるより、浜寺公園にある方が似つかわしい。 大伴の 高師の浜の 松が根を 枕き寝れど 家し偲はゆ (置始東人 巻1-66) (歌意) 大伴の高師の浜の松の根を枕にして寝ていても、家のことが偲ばれることだ。 浜寺公園駅 帰途は、仁徳天皇陵を経由して大和川に出て、堤防の道を東上。中央環状線との交差地点で、山頭火君と別れ、銀輪独行。柏原市役所前の、中甚兵衛翁像と高橋虫麻呂の万葉歌碑に挨拶してゆくことに。昨日、川中家屋敷と甚兵衛翁碑を訪れて来たばかりだから、像の方にも敬意を表しておこうという次第。この像は大和川付け替え工事300年を記念して建立されたものであるが、行政の立場で我が山頭火君も色々と尽力されたようであるから、本日の棹尾を飾るものとして不足あるまい。また、虫麻呂の「河内の大橋の歌」の歌碑も、銀輪万葉の出発地点であるから、文句あるまい。 中甚兵衛翁像 高橋虫麻呂万葉歌碑 大和川と別れてからは恩智川沿いの自転車道を北へ、途中で智麻呂師宅に立ち寄らせて戴き、ご機嫌伺い。午後5時近くまで楽しくお話させて戴いた。 智麻呂師の、藤の花の画 ところで、小万知様、この花は何でしょうね? 小万知様がお持ち下さったスミレの花の鉢植えに、スミレが枯れた後に芽を出したのが、今日突然にこのような可愛い花を咲かせたと、恒大嬢様、智麻呂師が喜んでおられましたが・・。これは、スミレの化身? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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