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カテゴリ:勉強以前の部分
この間、後輩に聞いてもらった話を、GWでこちらにきていた橋本ドクターや玄太くんにも話してみた。
後輩同様、諸手を挙げて賛成などしてはくれない。 自分の中では、十分考えたつもりでも、まだまだ甘い点、考えが及ばなかった点が続々と浮き彫りになってくる。自分の脳がフル回転し始める。 だからこそ、意見を求めるのだ。 相手の力を認めているからこそ、その意見がほしい。 尊敬できる相手だからこそ、批判がほしい。 もちろん、相手の言ったことをやるのかやらないのかは、結局は自分の意志だ。 それでも、批判があってこそ自分の考えに磨きがかかる。 相手の批判を上回るアイデアを出せば、より成功への確率が高まる。 私自身も、大西先生が今進めているプロジェクトに対しても橋本ドクターの進めているお話にも、意見するし批判も正直に述べている。 そもそも「あんたのしたいことなら好きにやりなさい。」なんて言ってくれるのは親くらいだ。 言って良いのも親くらいだ。 親だけが、子どもに、子どものしたことに責任がとれるからだ。 相手に一生付き合う覚悟があるのは親くらいなのだ。 最近の世の中じゃ、パートナーですら逃げる。なにせ離婚率が世界で6位にまで上がっている。 私たちは他人のすることに責任が取れない。責任はとれないのに責任感は感じてしまう。 だから、本当の他人(どうでもいい相手)の言うことなら、無責任に賛成することはあっても、友人の相談に対しては親身になって相談にのる。ところがどれだけ親身になっても、真に親の身にはなれない。だから、おかしいと思ったこと、相手の考えが及んでいないところにつっこむのだ。 考えが甘ければ、考えなおせというのだ。 考えなおせというのはやめろということではない。 やめることも含めて考えなおせということであって、考えが甘いという指摘である。 私は、よく生徒に言っている。 「親を説得もできないようじゃ、社会に出たらやっていけないよ。」 まともな親なら、最後は子どものしたいようにさせてくれる。 子どもから、子どものしたことから逃げない。 そんな”甘い”親すら説得できないようじゃ、何のプロジェクトも通せない。 どこの面接も受からない。 何かをしようとしたら、必ず異論が出る。違う考え方をする人がいる。そういうことも私の塾では合宿の運営を任せていくことなどを通じて学ばせている。 とはいうものの、だからこそ、親は有難い。 子どもを信じ、やりたいことをやらせてくれる。 私たちは生徒を信じていないのではない。 信じたい。責任をとりたい。 だが、実際にはできないからこそ、いろいろ言うのだ。 そうか。学校の先生の進路指導が無難なのも仕方がないのか・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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