カテゴリ:幸せ哲学
寅さんの勝手な思いです。 神様はやっぱりいると思うんです。
変に理屈っぽく考えてしまうのですが、 意識がモノゴトをあらしめているとすると、 「私」の意識だけでは、とんでもない世界になっているはずです。 もし、寅さんの意識どおりの世界になったら、 こりゃ、たいへんです。 もう、「魑魅魍魎・変態」の世界です。 そうならずに、ものすご~く、深い世界になっているのはなぜか? 私の意識も関与しているんでしょうが、 基本的には、とんでもなく偉大な意識が宇宙を出現させていると考えてしまいます。
どんなモノにも、どんな原子や素粒子も、 神さまの意識(愛)の結晶です。 どんな出来事も、深い深い思いやりのあらわれです。 神さまの思いそのものです。
人間の仕事って、何だろう? 良いことをすることだろうか? 人間が何をするというのだろう?
神さまの愛を見いだすこと すべてのことに、神さまの思いを見いだし、 讃美することが、仕事じゃないかな? 喜ぶことこそ、人間の仕事じゃないだろうか?
すべてのことで、神さまを讃美していると、 すべてが調和がとれてくる。 すべてです。すべてのすべてです。
昨夜、以前の塾生が、重いうつ病になってしまったことを聞かされました。 彼のために祈るしかありません。離れているものですから。
誤解されるかもしれませんが、 これも、神さまの愛のあらわれだと信じることで、 突破口が開かれるでしょう。 彼とご家族の上に、祝福がいま降っている雪のように降り注がれますように。
金がないのも、こんなフーテン生活も、 神さまの愛がいっぱい詰まっている結晶です。
きっと、寅さんは、金がいっぱいあったら、とんでもない人間になっていることでしょう。 金がないから、こんな仕事ができているのです。 いろんな子たちや、人々とお会いできたのです。 家族の絆も確認できているのです。 神さま、ありがとうございます。
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ピンチはチャンスだって、去年糸山先生から何度も言っていただきました。
本当にそうだったと今わかります。 小豆が学校に適応できない子供だったからこそ、私は母親としての歩みを踏み出せたと思います(まだまだ道のりは遠いですが)。 うまくかけないけど、世間ではなく、子供をみて工夫しようと思えるようになりました。「何をしたか」より「いかにしたか」を大切だとわかってきました。不登校も、病気も、いかに過ごしたかが大事なんですね。。。 神様、いると私もおもいます。私の中にも、寅さんの中にも。子供たち一人一人の中にも。 (2007.12.13 09:08:35)
神さまや仏さま。この頃、忘れがちかな?と思います。
「お天道様が見ているよ」とか「罰当たり」とか・・・。 そんな言葉も聞かれなくなったなぁ~と。 でも、神さまの存在を信じている私です。 だから時々、神さまは私たちを叱るために災いを起こしたり、 良いことが訪れたりするんじゃないかな?なんて思います。 (2007.12.13 12:54:05)
畑野そらまめさん
連続、ありがとうございます。 小豆さんは、そらまめさんを育んでいるわけですね。 本当に子どもは、贈り物ですねえ。 糸山先生のお考えを学ばせていただきます。 (2007.12.14 08:23:11)
佑啓さん
>歳を取れば取るだけ、神様や大いなる宇宙、愛の存在を実感します。 ありがとうございます。 私は、本当に鈍感なほうです。意識しないと、すぐに忘れます。 でも、少しずつでも、目を開いていきたいと思います。 (2007.12.14 08:27:46)
まちゃごん6042さん
>「お天道様が見ているよ」とか「罰当たり」とか・・・。 >そんな言葉も聞かれなくなったなぁ~と。 > そう言えば、聞かなくなりましたねえ。 神さまが叱ってくれるなんて、うれしいですねえ。 (2007.12.14 08:29:58)
科学寅さん
>畑野そらまめさん > >連続、ありがとうございます。 >小豆さんは、そらまめさんを育んでいるわけですね。 > はい。 >本当に子どもは、贈り物ですねえ。 > >糸山先生のお考えを学ばせていただきます。 ----- 糸山先生のお考えは学ばずとも…寅さんと同じだと思っていつも拝読しています。 ほら、同じこと言ってる人がここにもいるじゃないの♪って、勝手にえばってる私です。 いや、少数派なので、嬉しいんです。 (2007.12.14 09:12:09) |
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