カテゴリ:今の学校を最高の学校にしちゃう魔法
今日、みやぎ在宅支援ドクターネット講演会がありまして、 民俗研究家の結城登美雄 さんのお話を聴いてきました。
いろんな思いが渦巻く、素敵な講演でした。 また、お話が、日本昔話を聞いているようで、 自然となつかしい日本の姿に、舞い戻ってしまってるようでした。
その中で、作り手と食べ手のつながりの話しが 学校の教師と保護者の関係に、ダブッて見えてきました。
私たちの日々の食事は、食材はもちろん、 調理・料理も、自分の台所ではなく、 企業などの外部の台所に依存するようになりました。
囲むべき食卓も外食が増えています。 自分で作らずに他者にゆだねれば、 どこかに不安と不信をかこつことになるのは当然です。
食の安全をめぐる議論には、 どこか、ゆだねられた作り手への追及は厳しいが、 ゆだねた食べ手のありようを問うものは、ほとんどありません。 でも、これは、片手落ちではないでしょうか?
「お前さんたち本土の人にとって食とは何か」と問われて返答に窮したそうです。 うろたえる結城さんを見かねて、 「食は、ぬちぐすい、さ」と教えてくれたそうです。 「ぬち」とは命、「ぐすい」とは薬のこと。 「食とは命の薬である。 その大切な食を他人にゆだねておいて 不信ばかりを募らせて、みっともないね。 そんなに疑うなら、なぜ自分で作ろうとしないのか」 と言うのです。
食の食べ手に対して 「功の多少を計り、彼(か)の来処を量る」ことの大切を説きました。 つまり、 「この食事が作られるまでにかけられた、多くの手間と労力を考えよ」というのです。 疑いの目で見られる加工食品を 「何人もの人の手によって、手間と労力をかけて作られた食べ物」と、 喝破した道元禅師の言葉をかみしめたいものです。
そして道元は食の作り手にさらに問います。 「食材が上等とか粗末であるとか差別するな。 深い心で物を大切に無駄なく生かし、 真心をもって調理・料理せよ」と。
全く、学校教育に当てはまると思いませんか?
農業と漁業を合わせて、たったの3人だそうです。 そして、その内の一人は、後期高齢者、 さらに一人は、高齢者、 ところが、あと50年後には、食に携わる人は、1人になるそうです。 たった、これだけの人が100人の命を支えているのです。
消費者と生産・流通・加工の間に横たわる食の安全性への 不信感は大きく、残留農薬基準など、厳しくすることは当然です。 しかし、その安心が作り手の苦痛や犠牲の上にあっては 全く片手落ちではないでしょうか?
今、専業農家の時給は、250円換算になります。 労働基準法違反です。 子どもに継がせたくないのも、当然です。
もし、食が命の薬なら、私たちは、どうすればいいのでしょう。 市場原理に任せていいのでしょうか?
東北各地では、 かけ離れた食の作り手と食べ手の距離を縮めるべく、 農業者と食品流通加工業者の必死の努力が続いています。
同様に、今、心ある教師や学校でも、 かけ離れた、教える側と、教わる側の距離を縮めるべく、 必死の努力が続いています。 いずれも子どもや保護者に寄り添い、努力を重ね、 地味ですが、その領域を少しずつ広げようとしています。
食と同様に、宝である私たちの子どもの教育のありようを、 不信をかこつだけの わがままな「消費者」でいることは もう許されないのではないか、と感じたところです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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灰谷健次郎さんも食育には考えがあるようで「天の瞳」にでていく保育園では食事によい素材と天然の味付けを大事にしている、とあります。
たしかにそれがいいことはよくわかるのですが、うちのような共働きの家庭にとってはレトルトの調理キットがないと大変です(とお母さんは思っています)。農家の方も大多数の消費者が好むものを作らざるを得ないでしょう。教育の問題と同じで、卵とニワトリの話になってしまいますよね。その意味では、日本という国全体が「何がよいか」「どうすべきか」を議論する国に生まれ変わることがなければならないのですが、そうするとやっぱり教育の問題になってしまいます。 (2008.06.01 19:52:16)
ものぐさ父さん
昨日の講演会でも、出席者から、天然のもの、健康に留意すること、関連の質問が出てました。 でも、食育と自然食品とは、直接は結びつかないというのが、昨日の話だったように思います。 たとえどんな素材でも、作る過程に思いをいたすこと。また、思いをこめて、作物を作り、料理をすること。 その一歩も二歩も、面倒くささに踏み込んだ、「思い」を大切に、という趣旨だったように思います。 そして、私もそう思います。 確かに、世の中は、標準化と高い生産性によって、進歩してきたと思います。 スーパーやコンビニは、現代の誇るべき文化だと思います。 これらが、いかに、人々の生活を豊かにしたか。 そして、どんな健康法にも落とし穴があるように、 人間には、絶対的な真理はわからないんですから、 後世、「あら、間違ってた」ということは、十分ある、ってより、ほとんどが間違いだらけなんでしょう。 それでも、思いを込める幸せだけは、失われないと思います。 考える力が、今こそ必要ですね。 でも、悲観すべきでもないと思っています。 今の若い人たちの中には、 自分のアタマで考えている人も 相当数いると感じています。 高齢化社会を迎え、日本はガラっと変わりますよ。 (2008.06.02 09:12:49)
森の声さん
食べ物を前にして、手を合わせる習慣を 常識にしたいもんだと思います。 これこそ、大人が子どもに語って聴かせなければならない、「物語」ですね。 (2008.06.02 09:14:46) |
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