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カテゴリ:育児問題
●教育の皮肉(教育の原点)
家庭教育では、子どもは使えば使うほど、いい子になる。忍耐力も育つし、生活力もつく。そ してその上、親の苦労のわかる子どもになる。 子どもは突き放せば突き放すほど、自立する。「あなたの人生だから、あなたはあなたで、勝 手に生きなさい」という姿勢を、親がもてばもつほど、子どもはたくましくなる。 子どもに期待をしなければしないほど、子どもは親の期待を超えた子どもになる。「私が老人 になっても、子どもたちにはめんどうをみてもらわない」と言う人がいるが、そういう人ほど、ま た子どもたちの愛を一身に集めている。 一方、家庭教育では、子どもは手をかければかけるほど、またお金をかければかけるほど、 ドラ息子化する。生活がルーズになり、自分勝手になる。 子どもは溺愛すればするほど、わけのわからない子どもになってしまう。あるいは親に反発 する。そうでなければ超マザコンタイプの子どもになってしまう。 子どもに期待をかければかけるほど、子どもはどんどんその期待からはずれ、親の望む方 向とは別の方向へ進んでしまう。あるいは親の過剰期待の中で、子どもは窒息してしまう。 皮肉と言えば、これほど皮肉なことはない。親たちがよかれと思ってしていることが、かえって 裏目、裏目に出てしまう。なぜか。私はその理由の一つとして、人間には本来、いじってもよい 部分と、そうでない部分があるように思う。たとえば人間の自立に関する部分はいじってはいけ ないし、いじればいじるほど、子どもの自立は遅れる。つまりそういう部分は、人間が「教育」を 意識する、ずっとはるか昔から人間に備わっていた「力」だと思う。庭にやってくるスズメにして も、実にたくましい。犬の目を盗んでは、ドッグフードを盗んでいく。 となると教育とは何か、ということになる。そこで一のヒントとして、スズメの話を続ける。この スズメは、山バトがやってきても、まったく逃げない。しかしモズがやってくると一斉に逃げ出 す。モズは肉食だ。そこでスズメをよく観察してみると、「逃げる」という行動は、親から子へと 代々教え継がれていることがわかる。親鳥が逃げ出すと、間髪を入れず、子スズメたちが逃げ 出す。そしてやがて子スズメたちはモズがやってきたら、逃げるということを学習する。 わかりやすく言えば、教育とは、先人の知識や経験を、子どもたちに生きる武器として与える こと、ということになる。またその視点を忘れて、教育はありえないし、またその視点からはず れた教育は教育ではありえない。たとえば歴史教育にしても、原爆の悲惨さを教えるのは教育 であっても、○○年△△条約成立などという年号を子どもに暗記させるのは、歴史教育ではな い。教育がそういう視点に立ちかえったとき、教育が本来どうあるべきかがわかるのではない だろうか。 家庭教育は、あくまでもその一部に過ぎない。(以上、01年記「子育て雑談」) (補記) 今、このエッセーを読みかえしてみても、「まったく、そのとおり」と思う。そういえば、冬になったというのに、ここ1、2年、そのモズが私の庭に来なくなった。どうでもよいことだが、ふと、今、そう思った。 また20年来つづけてきた、スズメの餌づけだが、それについては、今年から、やめた。鳥インフルエンザの問題もある。が、それ以上に、やってくるスズメの数が、あまりにも多くなりすぎた。昨年当たりは、数十羽ずつに分かれた群れが、ひっきりなしに私の庭にやってきていた。 朝早く、1~2キロの餌を庭にまいたり、餌台にのせるのだが、午前中には、それがきれいになくなってしまった。しかしこういう餌づけは、結局は、野鳥のためにはならないのでは……。野鳥が、人間に依存するようになり、野鳥が野鳥でなくなってしまう。 それがやっとわかった。それでやめた。私自身は鳥が大好きで、庭に鳥がいないと、さみしいのだが……。 (はやし浩司 忍耐力 自立 子どもの自立 教育の原点 教育の目的) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年09月25日 07時53分29秒
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