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カテゴリ:人生論
【カバー論】
●使う前に、かけるか? 傷(いた)んでから、かけるか? ++++++++++++++++++ 今日、子どもたち(小4児)とこんな議論をした。 たとえば新しいテーブルを買ったとする。 そのときカバーをかけることにした。 新しいテーブルが傷まないように、だ。 そこで議論。 「テーブルというのは、傷む前にカバーを かけたほうがいいのか。 それとも傷んでから、傷(きず)を隠すために カバーを、かけたほうがいいのか」と。 ++++++++++++++++++ ●テーブルのカバー 家に帰って、同じ話をワイフにした。 というのも、私たちはいつも、新しい家具を買うと、それが傷まないように いろいろと工夫をする。 カバーをかけるのも、そのひとつ。 が、考えてみれば、これはおかしい. 家具というのは、使ってこそ、家具。 カバーをかければ、傷つきにくくはなるが、それで長持ちするというわけではない。 長持ちしたとしても、いつかはカバーをはずす。 はずしたときから、傷み始める。 あるいは、カバーが汚れたら、また新しいカバーをかけなおすという方法もある。 そうすれば見た目には、いつまでも新品(?)として残る。 しかしもしそうなら、テーブルの天板は、むきだしのベニヤ板でも構わないという ことになる。 ワ「子どもたちは、何と言ったの?」 私「意見は、2つに分かれた。傷んでからカバーをかければいいと言った子どもの ほうが、多かったかな」 ワ「そのほうが、合理的ね」 私「よくよく考えれば、そうだ」と。 この議論は、人生論にも通ずる。 ●まず自分の力で生きてみる まず自分の力で、生きるだけ生きてみる。 傷つくときは、傷つく。 それでも自分の力で生きてみる。 やがて傷だらけになり、限界を覚えたら、神や仏に教えを求める。 もうひとつは、最初に、神や仏に教えを求める。 その教えに従って生きる。 そうすれば傷つくことを、最小限に抑えられる。 いつまでも新鮮な気持ちで、(多分?)、生きることができる。 どちらを選ぶか? ところで最近の私は、新しい家具などを買っても、傷むことを あまり気にしなくなった。 テーブルにしても、もとの木目や感触を、そのまま楽しむようになった。 今までカバーをかけていた家具についても、そうだ。 カバーが古くなっても、新しいカバーは、買わない。 が、だからといって、粗末にするようになったというわけではない。 大切に使うという気持ちには、変わりはない。 これを自分の人生観に当てはめてみると、どういうことになるのか? これには、こんな話もある。 ●総けやき作りの家 私の30年来の友人が、今年の初め、他界した。 享年、75歳だった。 彼は死ぬ2年前に、もっていた財産のほとんどを使って、総けやき作りの 家を建てた。 3部屋しかない、平屋の家だったが、総額はわからない。 友人も本気だったが、あとで奥さんに聞いたら、大工さんのほうが、本気に なってしまったという。 寝食を忘れ、土日もなしで、建築に精力を注いでくれたという。 で、完成したその数日後、友人は、私とワイフをその家に招待してくれた。 独特の木の香りが、全身を包んだ。 私とワイフは、恐る恐る、その家に入った。 一部屋には、昔風の囲炉裏が組んであった。 横の床の間には、豪華な置物が並んでいた。 が、先にも書いたように、その友人は、その2年後には、他界して しまった。 実際には、その前に病院に1年近くいたので、その家に住んだのは、1年足らず ということになる。 で、友人が他界したあと、私とワイフは、その友人について、たびたび話しあった。 「総けやき作りの家に、1億円もかけた。しかし1年も使わなかった」と。 「1億円」というのは、私の勝手な想像による。 多分それくらいはかかっただろうということで、1億円とした。 それについて、ワイフは「もったいない」と言った。 私は、「やりたいことをやったのだから、それでいい」と言った。 ●財産にカバーをかける ずいぶんと回りくどい言い方になったが、私が書きたいことは、こういうこと。 つまり、人生も終わりに近づいたら、そこにあるものは、あるがままに使う。 テーブルでも、お金でも、何でも、だ。 何の役にも立てないで、そのまましまっておく必要はない。 たとえば新しいテーブルを買ったとする。 未来が永遠に見えるときは、それを長く使いたいと思う。 しかし自分の未来に限界を感じたら、その必要はない。 そこにあるものは、あるがままに使う。 その友人にしても、そうだ。 かなりの財産家だったということもある。 が、ある日、こう考えたとしても、おかしくない。 「もっているお金で、最後の夢を果たそう」と。 その(思い)に、一人の大工さんが、同調した。 大工さんも、70歳を超えていた。 しかも遠い親類だった。 ともに、最後の大仕事をしたことになる。 私はその友人を頭の中で思い浮かべながら、こう考える。 「その友人は、自分のお金に、カバーをかけないで使った」と。 もう少し俗な言い方をすれば、こうだ。 「お金があっても、死んだら、おしまい」と。 ●ワイフと…… ワ「息子さんや、娘さんに遺産を残すことは考えなかったのかしら?」 私「2人とも、遠くに住んでいるからね」 ワ「私なら、息子さんと娘さんに、遺産を残すことを考えたわ」 私「残す? お金にカバーをかけて、どうする?」と。 さて、みなさん! みなさんなら、どうする? 新しい家具を買った。 傷む前に、カバーをかけるか。 それとも、そのまま使って、傷んでから、それを隠すためにカバーをかけるか。 私のばあい、これはあくまでも私のばあいだが、このところ何かにつけて、 カバーをかけるのが、おっくうになってきた。 そこにあるものは、あるがままに使う。 できるだけ早く、気軽に使う。 少しずつだが、そういう生き方になってきた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年10月05日 06時02分24秒
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