2501055 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

楽天・日記 by はやし浩司

楽天・日記 by はやし浩司

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2008年10月05日
XML
カテゴリ:人生論
【カバー論】

●使う前に、かけるか? 傷(いた)んでから、かけるか?

++++++++++++++++++

今日、子どもたち(小4児)とこんな議論をした。

たとえば新しいテーブルを買ったとする。
そのときカバーをかけることにした。
新しいテーブルが傷まないように、だ。

そこで議論。

「テーブルというのは、傷む前にカバーを
かけたほうがいいのか。
それとも傷んでから、傷(きず)を隠すために
カバーを、かけたほうがいいのか」と。

++++++++++++++++++

●テーブルのカバー

家に帰って、同じ話をワイフにした。
というのも、私たちはいつも、新しい家具を買うと、それが傷まないように
いろいろと工夫をする。
カバーをかけるのも、そのひとつ。

が、考えてみれば、これはおかしい.
家具というのは、使ってこそ、家具。
カバーをかければ、傷つきにくくはなるが、それで長持ちするというわけではない。
長持ちしたとしても、いつかはカバーをはずす。
はずしたときから、傷み始める。
あるいは、カバーが汚れたら、また新しいカバーをかけなおすという方法もある。
そうすれば見た目には、いつまでも新品(?)として残る。
しかしもしそうなら、テーブルの天板は、むきだしのベニヤ板でも構わないという
ことになる。

ワ「子どもたちは、何と言ったの?」
私「意見は、2つに分かれた。傷んでからカバーをかければいいと言った子どもの
ほうが、多かったかな」
ワ「そのほうが、合理的ね」
私「よくよく考えれば、そうだ」と。

この議論は、人生論にも通ずる。

●まず自分の力で生きてみる

まず自分の力で、生きるだけ生きてみる。
傷つくときは、傷つく。
それでも自分の力で生きてみる。
やがて傷だらけになり、限界を覚えたら、神や仏に教えを求める。

もうひとつは、最初に、神や仏に教えを求める。
その教えに従って生きる。
そうすれば傷つくことを、最小限に抑えられる。
いつまでも新鮮な気持ちで、(多分?)、生きることができる。

どちらを選ぶか?

ところで最近の私は、新しい家具などを買っても、傷むことを
あまり気にしなくなった。
テーブルにしても、もとの木目や感触を、そのまま楽しむようになった。
今までカバーをかけていた家具についても、そうだ。
カバーが古くなっても、新しいカバーは、買わない。
が、だからといって、粗末にするようになったというわけではない。
大切に使うという気持ちには、変わりはない。

これを自分の人生観に当てはめてみると、どういうことになるのか?
これには、こんな話もある。

●総けやき作りの家

私の30年来の友人が、今年の初め、他界した。
享年、75歳だった。
彼は死ぬ2年前に、もっていた財産のほとんどを使って、総けやき作りの
家を建てた。
3部屋しかない、平屋の家だったが、総額はわからない。
友人も本気だったが、あとで奥さんに聞いたら、大工さんのほうが、本気に
なってしまったという。
寝食を忘れ、土日もなしで、建築に精力を注いでくれたという。

で、完成したその数日後、友人は、私とワイフをその家に招待してくれた。
独特の木の香りが、全身を包んだ。
私とワイフは、恐る恐る、その家に入った。

一部屋には、昔風の囲炉裏が組んであった。
横の床の間には、豪華な置物が並んでいた。

が、先にも書いたように、その友人は、その2年後には、他界して
しまった。
実際には、その前に病院に1年近くいたので、その家に住んだのは、1年足らず
ということになる。
で、友人が他界したあと、私とワイフは、その友人について、たびたび話しあった。
「総けやき作りの家に、1億円もかけた。しかし1年も使わなかった」と。
「1億円」というのは、私の勝手な想像による。
多分それくらいはかかっただろうということで、1億円とした。

それについて、ワイフは「もったいない」と言った。
私は、「やりたいことをやったのだから、それでいい」と言った。

●財産にカバーをかける

ずいぶんと回りくどい言い方になったが、私が書きたいことは、こういうこと。
つまり、人生も終わりに近づいたら、そこにあるものは、あるがままに使う。
テーブルでも、お金でも、何でも、だ。
何の役にも立てないで、そのまましまっておく必要はない。

たとえば新しいテーブルを買ったとする。
未来が永遠に見えるときは、それを長く使いたいと思う。
しかし自分の未来に限界を感じたら、その必要はない。
そこにあるものは、あるがままに使う。

その友人にしても、そうだ。
かなりの財産家だったということもある。
が、ある日、こう考えたとしても、おかしくない。
「もっているお金で、最後の夢を果たそう」と。
その(思い)に、一人の大工さんが、同調した。
大工さんも、70歳を超えていた。
しかも遠い親類だった。
ともに、最後の大仕事をしたことになる。

私はその友人を頭の中で思い浮かべながら、こう考える。
「その友人は、自分のお金に、カバーをかけないで使った」と。
もう少し俗な言い方をすれば、こうだ。

「お金があっても、死んだら、おしまい」と。

●ワイフと……

ワ「息子さんや、娘さんに遺産を残すことは考えなかったのかしら?」
私「2人とも、遠くに住んでいるからね」
ワ「私なら、息子さんと娘さんに、遺産を残すことを考えたわ」
私「残す? お金にカバーをかけて、どうする?」と。

さて、みなさん!
みなさんなら、どうする?

新しい家具を買った。
傷む前に、カバーをかけるか。
それとも、そのまま使って、傷んでから、それを隠すためにカバーをかけるか。

私のばあい、これはあくまでも私のばあいだが、このところ何かにつけて、
カバーをかけるのが、おっくうになってきた。
そこにあるものは、あるがままに使う。
できるだけ早く、気軽に使う。
少しずつだが、そういう生き方になってきた。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2008年10月05日 06時02分24秒
[人生論] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.