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カテゴリ:家族のこと
●「悔しい」
問題は、なぜ、母は、私にそこまでしたかということ。 できたかということ。 それについては、名古屋市に住む従姉(いとこ)が、ずっとあとになって教えてくれた。 その従姉はこう話してくれた。 私が今のワイフと結婚届けを出した夜のこと。 母は親戚という親戚すべてに電話をかけ、「(息子を)取られた」「悔しい」と、 泣きつづけたという。 従姉もその電話を受け取っていた。 母は、私の前ではそういった様子を、おくびにも出さなかった。 私たちの結婚を祝福してくれたように、私は理解していた。 が、そうではなかった。 母は、私という息子を、ワイフに「取られた」と感じたらしい。 つまりそれが母の心の底にあって、その(恨み)が、私からお金を奪うという 行為につながっていった。 「大学まで出してやったのに、恩知らず」と。 今にして思うと、そう解釈できる。 ●ダカラ論 『ダカラ論』ほど、身勝手な論理もない。 「親だから……」「子だから……」「男だから……」「女だから……」と。 ダカラ論を振りかざす人たちは、過去の伝統や風習、習慣を背負っているから強い。 問答無用式に、こちらをたたみかけてくる。 一方、それを受け取る側はどうかというと、反論するばあいも、その何十倍も、 理論武装しなければならない。 過去の伝統や風習、習慣と闘うというのは、それ自体、たいへんなことである。 それに相手は多勢。 こちらは無勢。 そういう相手が、どっと私に迫ってくる。 で、結局、『長いものには巻かれろ』式に、妥協するしかない。 「どんな親でも、親は親だからな」と言われ、「そうですね」と言って、そのまま 引きさがる。 いらぬ波風を立てるくらいなら、穏やかにすませたい。 いつしか私と母の関係は、そういう関係になっていった。 ●バネ しかし実際には、これがたいへんだった。 金銭的な負担感というよりは、社会的な負担感。 それがギシギシと、私の心を蝕(むしば)み始めた。 私が仕送りを止めたら、母と兄は、それこそ路頭に迷うことになる。 重圧感を覚えながらも、仕送りを止めるわけにはいかなかった。 が、幸いなことに、私の仕事は順調だった。 家族、みな、健康だった。 それに私は、戦後生まれの団塊の世代として、たくましかった。 あのドサクサの時代の中で、そう育てられた。 だから私は、母にお金を取られるたびに、それ以上のお金を稼いだ。 「畜生!」「畜生!」と、歯をくいしばって、そうした。 だからワイフは、ときどきこう言う。 「かえってそれがバネになったのよ」と。 ●家族自我群 人間にも、鳥類に似た、「刷り込み」があるのが、最近の研究でわかってきた。 生後まもなくから、7か月前後までと言われている。 この時期を、「敏感期」と呼んでいる。 この敏感期に、親子の関係は、本能に近い部分にまで、徹底的に刷り込みがなされる。 もっとも親子関係が良好な間は、こうした刷り込みも、それなりに有用である。 親子の絆も、それでしっかりとしたものになる。 しかしその関係が一度崩壊すると、今度はそれが家族自我群となって、その人を苦しめる。 ふつうの苦しみではない。 何しろ本能に近い部分にまで、刷り込まれる。 だから心理学の世界でも、そうした苦しみを、「幻惑」と呼んでいる。 特別なものと考える。 私は、その幻惑に苦しんだ。 記憶にあるのは、40代のはじめのころのこと。 私はいつも電車を乗り継いで郷里へ帰ったが、実家が近づくたびに、電車の中で、 法華経の経文を唱えた。 またそうでもしないと、自分の心を落ち着かせることができなかった。 ●兄のこと 兄についても書いておかねばならない。 兄は昭和13年生まれ。 私より9歳、年上だった。 ずっとあとになって、……というより亡くなる数年前に、専門医に自閉症と診断 されている。 そう、自閉症だった。 が、軽重を言えば、軽いものだった。 少なくとも中学校を卒業するまでは、そうだった。 アルバムの中の兄を見ても、ごくふつうの中学生だった。 その兄が大きく変化したのは、兄が中学を卒業し、稼業の自転車屋を継ぐようになって からである。 父は兄を毎日のように、叱り、罵倒した。 本来なら母が間に入って、その関係を調整しなければならなかったが、母までが、 兄を毛嫌いし、兄を突き放した。 兄の精神状態がおかしくなり始めたのは、そのころのことだった。 自分の部屋に閉じこもり、レコードを聴いて過ごすことが多くなった。 あるいはニタニタと意味のわからない笑みを浮かべ、独り言を口にしたりした。 ●干渉 田舎という地方性があったのかもしれない。 あるいは私の実家だけが、とくに同族意識が強かったのかもしれない。 実家が、「林家」という本家だったこともあり、叔父叔母、伯父伯母は言うに及ばず、 従兄たちまでもが、そのつど、私や私の家族に干渉してきた。 うるさいほどだった。 私の事情も知ることなく、また経緯(いきさつ)を知ることもなく、安易に、ダカラ論 をぶつけてきた。 干渉するほうは、親切心(?)から、そうしてくるのかもしれない。 あるいは好奇心からか? 事実、叔父、叔母も含めて、もちろん従兄弟たちも含めて、私は生涯にわたって、 1円たりとも金銭的援助を受けたことはない。 しかし干渉されるほうは、たまったものではない。 そのつど私は真綿で首を絞められるような苦しみを味わった。 が、いちいち説明することもできない。 私と母の関係を説明することもできない。 何しろ、親絶対教の信者たちばかりである。 そういう世界で、親の悪口を言えば、逆にこちらのほうが寄ってたかって、 袋叩きにされてしまう。 面従腹背というのは、まさにそれをいう。 私は心の奥では運命をのろい、外では、できのよい息子を演じた。 しかしこうした仮面をかぶるのも、疲れる。 一度だけだが、節介焼きの従兄と、喧嘩したこともある。 ●従兄 その従兄は、ネチネチとした言い方で、いつも私を揶揄(やゆ)した。 用もないのに、「ゆうべ、浩司クンの夢を見たから……」と。 「Jちゃん(=私の兄名)が、入院したぞ」 「Jちゃんが、ものすごいスピードで、自単車で走っていたぞ」 「親は、どんな親でも、親だかなあ、ハハハ」と。 だから最後の電話で、こう叫んだ。 「偉そうなことを言うな。お前が、ぼくと同じように、20代のときから実家に 仕送りでもしていたというのなら、お前の話を聞いてやる。しかしそういうことも ロクにせず、偉そうなことを言うな!」と。 それでその従兄とは、縁を切った。 「たがいに死ぬまで、連絡を取らない」と心に決めた。 昔の話ではない。 今から10年ほど前のことである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年05月15日 10時49分32秒
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