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楽天・日記 by はやし浩司

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2009年07月04日
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カテゴリ:育児エッセー






ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(317)

●西郷隆盛が理想の教育者?

 ある教育雑誌に、ある県会議員の教育改革論(?)が載っていた。いわく「西郷隆盛(明治維新の元勲)こそが、私の尊敬する人物。彼の思想にこそ、これからの教育の指針が隠されている」(雑誌「K」)と。

いろいろ理由は書かれていたが、私はこういう意見を読むと、生理的な嫌悪感を覚える。イギリス人がトラファルガーの海戦(1805年)で勝利を収めた、ネルソン提督をあがめるようなものだ。気持ちはわからないでもないが、どうしてものの考え方が、こうもうしろ向きなのだろうとさえ思ってしまう。

西郷隆盛が西郷隆盛であったのは、あの時代の人物だったからにほかならない。西郷隆盛をたたえるということは、あの時代を肯定することにもなる。もちろん歴史は歴史だし、歴史上の人物は、それなりに評価しなければならない。しかし西郷隆盛に教育論を求めるとは……? 彼は、大久保利通、木戸孝允らと並んで、明治維新の三傑とは言われたが、少なくとも民主主義のために戦った人物ではない。平和や自由や平等のために戦った人物でもない。わかりやすく言えば、武士階級の権威や権力の温存を求めて戦った人物である。

……というような反論をしても、この日本では意味がない。私のほうが異端児になってしまう。先日も、「あなたは日本の歴史を否定するのか。それでもあなたは日本人か」と言ってきた人がいた。

しかし私は何も日本の歴史を否定しているのではない。それに私は上から下まで、完全な日本人だ。日本の文化や風土、民族はこの上なく愛している。しかしそのことと体制を愛するということは別のことである。西郷隆盛にしても、明治から大正、昭和における歴史の教科書の中で、そのときどきの体制につごうがよいように美化された偉人(?)にすぎない。その結果が、あの軍国主義であり、さらにその結果があの戦争である。だととするなら、なぜ今、西郷隆盛なのかという疑問を私がもったところで、それは当然のことではないのか。

こうした復古主義は、社会の世相が混乱するたびに姿を現す。今がそうだが、こうした復古主義がはびこればはびこるほど、「進歩」が停滞する。しかし私たちがすべきことは、「新しい家庭観」の創設であって、決して復古主義的な家庭観ではない。改革の思想は、いつも混乱の中から生まれる。混乱を恐れてはいけない。混乱の中から何かを生み出すという姿勢が、この混乱を抜け出る唯一の方法である。

……何とも、カタイ話になってしまったが、読者のみなさんも、こうした復古主義にだけはじゅうぶん、注意してほしい。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(318)

●国によって違う職業観

 職業観というのは、国によって違う。もう40年も前のことだが、私がメルボルン大学に留学していたときのこと。当時、正規の日本人留学生は私一人だけ。(もう一人Mという女子学生がいたが、彼女は、もともとメルボルンに住んでいた日本人。)そのときのこと。

 私が友人の部屋でお茶を飲んでいると、一通の手紙を見つけた。許可をもらって読むと、「君を外交官にしたいから、面接に来るように」と。私が喜んで、「外交官ではないか! おめでとう」と言うと、その友人は何を思ったか、その手紙を丸めてポイと捨てた。「アメリカやイギリスなら行きたいが、99%の国は、行きたくない」と。考えてみればオーストラリアは移民国家。「外国へ出る」という意識が、日本人のそれとはまったく違っていた。

 さらにある日。フィリッピンからの留学生と話していると、彼はこう言った。「君は日本へ帰ったら、ジャパニーズ・アーミィ(軍隊)に入るのか」と。私が「いや、今、日本では軍隊はあまり人気がない」と答えると、「イソロク(山本五十六)の伝統ある軍隊になぜ入らないのか」と、やんやの非難。当時のフィリッピンは、マルコス政権下。軍人になることイコール、そのまま出世コースということになっていた。で、私の番。

 私はほかに自慢できるものがなかったこともあり、最初のころは、会う人ごとに、「ぼくは日本へ帰ったら、M物産という会社に入る。日本ではナンバーワンの商社だ」と言っていた。が、ある日、一番仲のよかったデニス君が、こう言った。「ヒロシ、もうそんなことを言うのはよせ。日本のビジネスマンは、ここでは軽蔑されている」と。彼は「ディスパイズ(軽蔑する)」という言葉を使った。

 当時の日本は高度成長期のまっただ中。ほとんどの学生は何も迷わず、銀行マン、商社マンの道を歩もうとしていた。外交官になるというのは、エリート中のエリートでしかなかった。この友人の一言で、私の職業観が大きく変わったことは言うまでもない。

 さて今、あなたはどのような職業観をもっているだろうか。あなたというより、あなたの夫はどのような職業観をもっているだろうか。それがどんなものであるにせよ、ただこれだけは言える。

こうした職業観というのは、決して絶対的なものではないということ。時代によって、それぞれの国によって、そのときどきの「教育」によってつくられるということ。大切なことは、そういうものを通り越した、その先で子どもの将来を考える必要があるということ。私の母は、私が幼稚園教師になると電話で話したとき、電話口の向こうで、オイオイと泣き崩れてしまった。「浩ちャーン、あんたは道を誤ったア~」と。

母は母の時代の常識にそってそう言っただけだが、その一言が私をどん底に叩き落したことは言うまでもない。しかしあなたとあなたの子どもの間では、こういうことはあってはならない。これからは、もうそういう時代ではない。あってはならない。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(319)

●ホームスクール

 アメリカにはホームスクールという制度がある。親が教材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。希望すれば、州政府が家庭教師を派遣してくれる。

日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。アメリカだけでも九七年度には、ホームスクールの子どもが、100万人を超えた。毎年一五%前後の割合でふえ、2001年度末には200万人に達しただろうと言われている。それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。「真に自由な教育は家庭でこそできる」という理念がそこにある。

地域のホームスクーラーが合同で研修会を開いたり、遠足をしたりしている。またこの運動は世界的な広がりをみせ、世界で約千もの大学が、こうした子どもの受け入れを表明している(LIFレポートより)。

「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On Liberty)」を引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。

 「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると考えてよい。そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいものでしかない。それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の上に専制政治を行うための手段として用いられてきている」と。

 そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由と社会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)学校教育を破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。いわく、「民主主義国家においては、国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始まっているではないか」「反対に軍事的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるということを忘れてはならない」と。

 さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という意見には、次のように反論している。「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の犯罪率はむしろ増加している。学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考えるのは正しくない。学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、警察システムや裁判所システムの改革によるところが大きい。青少年の犯罪については、もっと別の角度から検討すべきではないのか」と(以上、要約)。

 日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえている。なお2000年度に、小中学校での不登校児は、13万4000人を超えた。中学生では、38人に1人が、不登校児ということになる。この数字は前年度より、4000人多い。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(320)

●二番目の子は、親と疎遠?

 「3人兄弟の第2子は、両親に電話する回数が少なく、疎遠になりやすいことが東京大学大学院のアンケート調査でわかった」(読売新聞02年5月)という。

 同大学院認知行動科学研究所が、全国の3人兄弟の大学生男女129人に、1か月に何回、両親に電話するかを聞いたところ、

 長子…… 6・9回
 第二子……4・6回
 末子…… 5・9回と、第二子は明らかに少なかった。

男女別に分けても、傾向は同じだったという。さらにその報告によれば、「出生順位と親子関係について、1998年にカナダで行われた研究でも、長子や末子にくらべて、中間の子どもは両親をあまり親しい人物と考えていないという結果が出ている」という。

理由として、「長子は両親が子育てにかける手間を独占できる期間があり、末子も、その後に弟妹がいないので、親が世話をしやすいため」と分析している。そして「一方、じゅうぶんに手をかけてもらっていない中間の子どもは、両親への親密度を減らす」とも。

 ……もっとも、こんなことは私たちの世界では常識で、何も「大学院のアンケート調査によれば」と断らなければならないほど、おおげさなものではない。私もすでにあちこちの本の中で、そう書いてきた。が、問題はその先。

 嫉妬による愛情飢餓の状態が、長くつづくと、子どもの心はゆがんでくる。表面的には、愛想がよくなり、人なつこくなる。しかしその反面、自分の心を防衛する(飾る)ようになり、仮面をかぶるようになる。よい子ぶったり、優等生になっておとなの関心を自分に引こうとする。

が、さらにその状態が長くつづくと、心の状態と顔の表情が遊離し始め、親から見ても、何を考えているかわからない子どもといった感じになる。この段階になると、ひがみやすくなる、いじけやすくなる、ひねくれやすくなる、つっぱりやすくなるなどの、「ゆがみ」が出てくるようになる。タイプとしては、(1)暴力的、攻撃的になるプラス型と、(2)ジクジクと内へこもるマイナス型に分けることができる。大切なことはそういう状態になる前に、子ども自身が今、どう状態なのかを親側が知ることである。ここにも書いたように、それが長くつづけばつづくほど、子どもの心はゆがむ。

 さて、読売新聞はこう結論づけている。「東大とカナダの調査結果は、(中間の子は、両親への親密度を減らすという)学説を裏づけるデータと言えそうだ。同研究室は、『中間の子だけに特有の性格があることは興味深い。電話以外の行動も調べてみたい』としている」と。





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最終更新日  2009年07月04日 08時45分26秒
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