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2010.09.16
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カテゴリ:戦争映画
太平洋の鷲.jpg


1953年に制作された「太平洋の鷲」は太平洋戦争で
真珠湾攻撃とミッドウェー海戦の総指揮に当たり
連合艦隊の司令長官だった山本五十六の撃墜死を描いた
戦争映画で監督は本多猪四郎、応援監督に小田基義
特技監督に円谷英二という東宝怪獣シリーズの
お馴染みのメンバーで構成されました。

昭和16年、東条内閣の出現で日本は戦争へと導かれ
連合艦隊司令長官・山本五十六(大河内傳次郎)は
最後まで日米交渉妥結を願っていたが
東條内閣が御前会議において開戦を決定した為
山本は止むを得なく真珠湾攻撃の指揮を取り
戦争の火蓋を切ってしまった。

緒戦の戦果に有頂点になった政務参謀(三國連太郎)
近衛文麿(高田稔)ら首脳部は山本五十六の講和説に
耳を傾けず徒らに戦線拡大を計った。
もはや速戦速決あるのみと信じた山本五十六は
今度はミッドウェーにて敵機動部隊と対決する。

しかし日本側の作戦計画は事前にアメリカ側に入手され
空母・赤城、加賀等は次々に凄絶な最後を遂げ、
唯一残った空母・飛龍から友永大尉(三船敏郎)が指揮する
日本機動部隊最後の十五機の雷撃隊が飛び立ち
米空母のヨークタウンを撃沈させたのだ。

だが、その飛龍も米第二次大編隊の攻撃に
忽ち黒煙に包まれ沈没していった。

以後、戦争の主導権はアメリカに移り
ラバウルに移った航海参謀:小林桂樹ら司令部の
機数一覧表からは未帰還機が次々と消されていった。

補給のないままラバウル作戦は終結し
トラック島の引揚げを前に九二式重爆に搭乗した
山本五十六は最後の前線視察を行った。

そこで待ち受けていたのは米戦闘機P38であった。

この映画はゴジラのスーツアクターであり
航空兵役の中島春雄は本作で身体に火をつけての
日本初のファイヤー・スタントを演じており

また戦闘シーンは主に記録フィルムと「加藤隼戦闘隊」
「ハワイ・マレー沖海戦」「雷撃隊出動」など
旧作の特撮フィルムを流用しました。

主役を演じた大河内傳次郎は大正・昭和の映画の大スターで
当たり役となった「丹下左膳」の“姓は丹下、名は左膳”という
決めセリフが一世を風靡、後代まで多くの芸人が
物まねのレパートリーにする名文句になった事で有名である。


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Last updated  2010.09.16 20:53:42
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