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カテゴリ:プロレス・格闘技
完全無欠のエース・ジャンボ鶴田が怪物と呼ばれた。 超世代軍の奮闘で新時代を築き上げていた 全日本プロレスに巨大な壁として立ちはだかったのが スタンハンセンとジャンボ鶴田であった。 ジャンボ鶴田は1990年6月、三沢にフォールを許したが 3ヶ月後、三冠ヘビー級王座への挑戦権をかけて 再度、三沢光晴と戦い、今度は鶴田が ジャンボラリアットからのバックドロップ・ホールドで 三沢から完璧な3カウントを奪っている。 1991年1月19日ではスタンハンセンを破り、 第8代・三冠ヘビー級王者に返り咲き その後は三沢光晴、スティーブ・ウィリアムス、 川田利明が鶴田の三冠王座に挑戦。 全て完勝といっていい内容で退け、ジャンボ鶴田は 誰も勝つ事が出来ないほど強い“怪物”と呼ばれた。 また後楽園ホール大会で川田から顔面への ステップキックを執拗に繰り出された直後、 鶴田は目の色を変え、大迫力のエルボーで 川田を戦意喪失させ半失神状態に追い込んだが 鶴田の怒りは収まらず、無理矢理起こして次の攻撃を続け 顎へまともに入るジャンボ・キック、 場外でのボディスラム、座面ではなくステンレス部分での イス攻撃などを川田に繰り出す壮絶な攻撃であった。 怒ったジャンボの怖さはこれだけではなく 大阪大会で鶴田のエルボーが三沢光晴の鼻を直撃し 三沢は鼻骨を骨折してしまい 鼻を負傷しながらなおも試合を続ける三沢に 鶴田はその鼻に狙いを絞った攻撃を徹底する ダーティファイトを繰り広げ まさに超世代軍の壁であったとも言える。 怪物と呼ばれた1991年の鶴田は全日本プロレス中継で 三沢との三冠戦後のインタビューで 「一回でいいから世界最強といわれるハルク・ホーガンと 負けてもいいから思いっきり闘いたい」と発言し 対戦したい相手として他に前田日明、藤波辰巳の名も挙げ 鶴田怪物時代を物語る最強ぶりであった。 しかし古傷の左足首の故障で1シリーズを 全休した事を機に1992年11月、鶴田はB型肝炎を発症し 長期入院を余儀なくされてしまった。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 ★プレミアムセール[DVD] 全日本プロレス中継 世界最強タッグ列伝 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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