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2015.11.05
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カテゴリ:プロレス・格闘技
ビジネス戦略法.jpg


大激震が起こった三沢光晴ら大勢の
全日本プロレス離脱であったが
三沢はプロレスリング・ノアを旗揚げした。

当初、三沢の構想は居酒屋を経営しながら
5人の新人を育成し3試合ほどの
小さな興行を催すというものであったが

全日本から5人の取締役が三沢に追随して退任、
社内から三沢の行動に同調する者が続出し
全日本を退団してノアに参加するレスラーは
練習生を含めて26人にのぼった。

三沢は予想より多くの選手がノアの参加を表明した為
三沢は資金繰りに苦しみ、自身の保険を解約し
さらに自宅を担保に金を借り入れて
選手たちの給料にあてた程である。

そんな人望の強い三沢光晴が掲げたテーマ
「自由と信念」「自分の行動に責任を取る」
それは全日本でやれなかった事を
新団体・ノアで実行するというものだった。

ノアの新しいビジネスとは・・・
全日本時代から三沢の参謀だった仲田龍は
松田聖子のコンサートを見に行った際、
スモークやカクテルライト、レーザー光線を使った
華やかな演出を見て「これを全日本でも出来ないだろうか」と
会社に企画書を提出したが、あっさり却下され
この経緯から全日本で出来なかった
ド派手な演出がノアマットで実現した。

また三沢は「やっている方が楽しくないといけない」
という考えから従来プロレス界にあった
「若手は派手な技を使ってはいけない」というルールを排し
若手であっても大技を使える自由と
先輩レスラーの持ち技を使う事も許した。

海外への進出も全日本時代からWWE副社長の
ジョニー・エースとは旧知の間柄であり
現役のWWE選手がノアに上がれるように働きかると
壮大なスケールのプランも掲げ
大森隆男、森嶋猛、KENTA、潮崎豪がWWEに参戦している。

そして、ジュニアヘビー級戦線の活性化
中堅レスラーの扱いも充実し
選手会興行による面白いプロレスや
女子レスラーの参戦など新しい試みは大成功となり

「思いついた事はすべてやる」という発想は
机の上で思いついた催し物より
現場でパッとひらめいた有効なアイディアに匹敵し
選手個人個人の才能を伸ばす事になった。

また経営者・三沢を損得勘定で動かない人間であり
休養中の給料保障、年間の最低保障を定め
所属レスラーを金銭面でバックアップする事に留意した。

全日本プロレスの社長時代には
会社の財政状態が厳しいにもかかわらず
所属レスラーがかける保険の保険料を
全額負担する決断を下している。

その全日本プロレス離脱の際、売り興行に出場し
愛媛国際貿易センターで行われた試合では
観客から「裏切り者」と罵声を浴びせられた。

これに対し三沢は「ファンは大切だけど、
その人の思い込みに何でオレが従わなければいけないんだ。
オレの人生をその人が保証してくれるのか」と
怒りを露わにしたほど信念を揶揄させるのを嫌っていた。

そして構えたノアの事務所もディファ有明設立の際
会場内のシステムアイディアを仲田龍が出し
そのコネによりディファ事務所棟に事務所を構え

ディスコ棟3階の貸しスタジオはノアの道場に
サウンドコロシアム棟の開き部屋は事務所に改装され
この事からディファはプロレス界で
NOAHの聖地とも呼ばれている。


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Last updated  2015.11.06 00:01:21
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