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カテゴリ:プロレス・格闘技
大仁田は引退後、社長を退任しFMWと無関係になった。 新たに運営会社が設立され、社長には旗揚げ当時 リングアナウンサーで、関連子会社「FMWクリエイティブ」の 取締役広報部長だった荒井昌一氏が就任した。 大仁田の引退後もFMWは持ちこたえ、 1995年5月28日、駒沢オリンピック公園体育館大会を皮切りに ハヤブサを中心に金村キンタロー、田中将斗、工藤めぐみ、 ザ・グラジエーターらの若い力が リングに活力を蘇らせて大仁田体制の胡散臭さや 怪しさを押し出したスタイルとは異なる後に ハードコアスタイルと呼ばれる激しい戦いが高い支持を得た。 1996年5月5日、ハヤブサ&田中組対テリー・ファンク&ポーゴ組を メインイベントに川崎球場大会のビッグマッチを成功。 しかし、もう1度スポットライトを浴びたいと願う大仁田は ポーゴを引退させてポーゴの最後の願いとして 大仁田とのタッグ結成をファンに乞うというアングルで 1996年12月11日、駒沢オリンピック公園体育館大会で強引に復帰。 この頃からハヤブサ、金村、田中ら若い世代へ期待する路線と 創始者の大仁田への回帰路線という2つの方向性が リング上に生まれてFMWは混乱し始めた。 この頃、WARを退団した冬木弘道、邪道、外道が参戦して 金村、雁之助らとユニット「チーム・ノーリスペクト」を結成して FMWの歴史上でも最も存在感の大きなヒール軍になった。 また、日本に進出を図ったディレクTVがFMWと契約し テレビ放映を手にしたFMWは最大のインディー団体と言われた。 契約を結んだFMWは制作費の提供を受けて グレードアップしたエンターテイメント路線を走り始めた。 1999年5月、アクの強いエンターテイメント路線に シフトチェンジを行ってドッグフードマッチや、 おばけ屋敷マッチなど、これまでの日本では考えられなかった ショー要素の強いプロレスを展開。 さらにAVのチョコボール向井や若菜瀬奈、 演歌歌手の谷本知美などのプロレス経験がない素人までを 試合に参加させてファンの話題と反発を呼んだ。 好調であるかに見えたが1999年11月23日、 横浜アリーナで開催した旗揚げ10周年記念大会には WWEのショーン・マイケルズ、ECWのレイヴェンなどの 大物選手を招聘して内容面ではこの上ない 最高の試合になったにも拘わらず 興行的には失敗してFMWの経営状態は一気に悪化していった。 ハヤブサが後楽園ホール大会での試合中の事故により 頸椎を損傷して長期欠場を余儀なくされ、 ミスター雁之助も負傷して長期欠場になった。 看板選手の欠場は経営基盤の弱いFMWには致命傷になった。 2002年2月14日と15日、FMWは2日連続で不渡りを出して 事実上倒産。13年の幕を閉じた。 A4、A5ランクの国産和牛を使用した超贅沢牛丼の素 焼肉乙ちゃんの和牛丼の素 150g x 10パック 【冷凍】【牛丼】【最高級】【国産A4、A5等級】【一頭買い】【和牛】【極上雌牛】【A4、A5】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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