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カテゴリ:プロレス・格闘技
1998年1月4日 革命戦士・長州力が 東京ドーム大会で引退した。 長州力は新日本プロレスの新間寿にスカウトされ、 1974年に新日本プロレスへ入団。 デビューは1974年8月8日、日大講堂でのエル・グレコ戦。 サソリ固めで勝利を飾る。 リングネームは故郷・山口の旧名である長州と 力道山から長州力と改名。 坂口征二と共にNWA北米タッグ王座を保持していたが 単なる脇役という印象は拭い去れずにいた。 1982年に入るとメキシコ武者修行から帰国、 「藤波、俺はお前のかませ犬じゃない」という発言でブレイクし 藤波と「名勝負数え唄」といわれる連戦を展開した。 その後ジャパンプロレスを旗揚げし、 維新軍に所属するレスラーを率いて全日本のリングへ上がる。 全日本流の「受けのプロレス」に触れた事で、 長州のファイトスタイルは攻め一辺倒から脱し、 相手の技を受ける場面も多く見られるようになった。 長州自身も、「馬場さんから、いろんな部分で受けてるね。 まず、プロレスの見方が変わった」と回顧している。 1987年、長州の師であり維新軍でも頭目格であった マサ斎藤と猪木との抗争が始まる。 斉藤がKO負けした直後は周囲に押さえられて未遂に終わるも、 長州はリングに駆け上がらんばかりであった。 これを契機に、ついに長州は新日復帰を果たす。 1988年7月にアントニオ猪木から念願のフォール勝ちを奪い、 名実共に新日本マットの中心となった。 そして現場監督として猪木が一線を退いた後の団体を取り仕切り、 因縁浅からぬUWFインターナショナルとの抗争を主導した。 引退試合は藤田和之、吉江豊、高岩竜一、飯塚高史、 獣神サンダー・ライガーの5人掛けであった。 藤田、吉江、高岩、ライガーに勝利。飯塚に敗北。 引退後、長州力のリングネームは愛弟子の 佐々木健介が襲名するという話が持ち上がるも実現しなかった。 一頭まるごと楽しめる一頭盛り 20種 60g×20種(7〜8人前) 【冷凍】【最高級】【タレ付き】【国産A4、A5等級】【一頭買い】【和牛】【極上雌牛】【A4、A5】【バーベキュー】【BBQ】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.06.28 20:00:19
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