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カテゴリ:陰謀論批判

 世の中、なにがいちばん気楽かというと、「素人」 の立場からあれこれと文句を言うことである。野球の試合であれば、ピッチャーがファーボールを連発すれば 「へぼピッチャー、さっさと引っ込めー」 と罵声を浴びせ、バッターが凡退を繰り返せば 「お前なんか、さっさと引退しろー」 などと野次をとばしていればいいのだから。

 むろん、こういう野次をとばすのも野球観戦の楽しみの一つだろうし、言っている本人だって、自分が代わりに投げたり打ったりできるわけではないことは、じゅうぶん承知のうえだろう。監督の選手起用のまずさを、屋台で一杯飲みながら批判していても、自分が代わりに監督をやるわけにはいかないことも分かっているはずだ。

 スポーツの世界というものは、素人と玄人との違いというものが、誰の目にもはっきりとしている世界である。どんなに偉そうなことを言っている人でも、プロの選手に対して、「バットはこうやって振るもんだ」 とか、「ボールはこういうふうに蹴るんだよ」 みたいに、フィールドに下りてって手取り足取り指導してやろうなんて気を起こす者は、まずいまい。

 なにしろ、スポーツの場合、素人と玄人とでは、体力も技量もまったく比較にならないのであり、そのことはお互いじゅうぶんに分かっている。そこでの比較=評価の基準は単純明快であり、そこに 「トンデモ」 学説など、入り込む余地はない。だからこそ、ある意味、そういう世界では、素人が無責任なことを言っていても、よほどのことでない限り許されるのだ。

 先般、香川県で起きた、祖母と幼い孫二人が夜間に行方不明になった事件で、自分のブログに気軽なのりで 「犯人は X X だ」 などと書いた若い女性タレントがいた。彼女はけっきょく1年間の 「謹慎処分」 をくらうということになってしまったが、同様のことを匿名のブログや掲示板で書いていた者は、おそらく他にも大勢いたことだろう。

 なにか世間を驚かすような事件が起こると、あちらこちらでいっせいに 「犯人当てクイズ」 のような騒ぎが始まる。これは、推理ものの 「二時間ドラマ」 の世界と現実の世界を混同しているようなもので、大宅壮一の言葉をもじれば 「一億総探偵化」 とでも言うべき現象である。

 いうまでもなく、このような探偵とは、お湯をかけて5分でできたような 素人探偵 のことである。

 こういったことも、テレビを見ながら夫婦や親子であれこれ言っている分には、そう実害はないだろうし、人間というものは自分には直接関係のないことでも、興味をもってあれこれ言いたがるものであるから、仕方がないことでもある。

 だが、そうはいっても、やっぱり世の中には、素人が気軽にあれこれと口を出すべきではない領域もある。

 どでかい飛行機が高速でビルに突っ込んだらどうなるのか、なんて話がまさにそうである。

 そもそも、野球やサッカーの解説ですら素人には務まらないのに、なんでただの素人が、ニュース映像を見たぐらいで、「あのビルの崩れ方はおかしい」、「あの煙の出方はおかしい、やっぱり爆破されたのだ」、「陰謀だ!」 なんてことを言えるのだろうか。そこんとこが、私にはさっぱり分からない。

 自分はあの事件以来、その真相解明に全精力をかけてきた、みたいなことをおっしゃっている方々がいる。なかなかの心意気である。見上げたものである。その心意気を、こちらにも少しは分けて欲しいぐらいである。

 しかし、そのようなことを言っている人々は、そのことに必要な専門的な教育を、いったいどのくらい受けているのだろうか。たしかに、そのなかには、それなりの教育を受けた人もいるだろう。だが、あのような前代未聞で複雑な事件の 「真相」 を暴くというのなら、1つや2つの分野の専門教育を受けたぐらいでできることではない。

 あんな重くてでっかい飛行機がなんで空を飛ぶのかを理解するには、航空力学や流体力学を修める必要があるだろう。ビルの崩壊を論じるならば建築力学や金属工学が、爆破かどうかを論じるならば、爆破工学だとかの理解も必要になるだろう (テキトーに言ってるので、違うかもしれない)。

 それだけではない。教わったことを本当に身に着けるには、そこそこの実務経験というのも必要なはずだ。

 で、「9.11事件の謎 !」 などと仰っている方々は、そのへんのことをいったいどのように考えていらっしゃるのだろう。ただの気分や戯言で言っているのではなく、本当に本気なのであれば、大学の理学部だか工学部に入りなおして、力学だとか工学だとかの基礎から学ぶべきである。

 それだけの覚悟があるのならば、10年でも20年でもかけて、本当に事件の検証に必要な力を身に付けてから、検証を始めても遅くはあるまい。ほんらい 「覚悟」 というものは、そういうものである(ちょっとえらそー)。

 むろん、「事件」 の経過とか、発表とかに疑問を持つこと自体は構わない。疑問を持った人が、自分のできる範囲で、いろいろと情報を集めて調べてみることもいいだろう。

 しかしながら、生半可な知識で、「あの事件についての 『公式発表』 はでっち上げだー !」 などと触れてまわるのは、滑稽千万であり愚の骨頂であり、百害あって一利なしである。本当の覚悟がないのであれば、そういうことは 「専門家」 の先生に任せておけばよろしい。

 むろん、ときには 「専門家」 でも意見が一致しないような問題もあるだろう。そういうときは、われわれ素人としては、いったいどっちを信用すればいいのか分からないのだから、確かに困ったことではある。だが、だからといって、「素人」 が気軽に口を出してもよいということにはなるまい。

 「生兵法は怪我のもと」 ということわざもあるが、「素人」 がそういう問題に口を出すときは、少なくとも、自分はただの 「素人」 だということぐらい意識しておくべきである。「無知の知」 ではないが、「素人」 であることを自覚した素人は、すでに単なる無責任な素人ではない。

 ある特定の問題について、その解決にはいったいどれだけのどのような能力が必要なのかを判断もせずに、また、いま現に自分が持っている能力はどの程度なのか、といったことを客観的に理解もできないままで、生半可なことを言い、

 そのあげくに、太田龍ごときが垂れ流すようなお手軽な 「陰謀説」 などに引っかかるような人は、もしもいま、ヒトラーのような悪魔的デマゴーグが現れたなら、「うん、そうだ、そうだ、そのとおりだ」 と、簡単に騙され、その熱烈な支持者になってしまうことだろう。

 いささか大仰ではあるが、オルテガの言葉を借りれば、そのような無責任な言動をなし、専門的能力もなく、またその自覚もないままに、「専門家」 と対等の口を利きたがる 「大衆」 こそが、ファシズムの登場を支えたのではなかったのだろうか。 

 そこに、決定的な違いなどはなにもない。自分は、善意にあふれ正義を信じる真面目な人間だから、そんな 「悪の道」 に迷い込むはずはない、などと思っている者がいるとすれば、そいつはただのお馬鹿さんであり、人間というものを知らない無知なあほうである。

 とはいえ、だからこそ今のところ、そういった 「陰謀論」 に引っかかるようなトンマさんたちが、この国ではごくごく少数にすぎないことは、まことに慶賀すべきことなのである。

 社会にとって最も危険な 「勢力」 は、しばしば 「既成権力」 「支配体制」 に対する 「急進的な批判」 という形をとって現れてくる。そして、そのような勢力の登場を支え、そのような流れに掉さすのは、どんな時代でも、真面目で行動力と正義感にあふれ、ただし自己を疑うことだけは知らない 「善意の人々」 らである。

 5.15事件や2.26事件、様々な暗殺事件などを起こして、昭和の軍部独裁への道を開いた民間右翼や青年将校らも、農村の疲弊に無策な政党や政府の腐敗、金権体質などに憤った、自分は正しいと信じていた 「正義の人々」 ではなかったのか。

 起きたことを後から振り返って、道を間違えてしまった者を非難するのは簡単だ。しかし、現にいま進行しつつある歴史においては、こっちが 「正しい道」、こっちは 「間違った道」 などという明確な 「方向表示」 などがあるわけではない。

 それは、かつて 「連合赤軍事件」 を起こした永田洋子や坂口弘、あるいは 「オウム事件」 を起こした者らを見ても分かることだろう。 いったん抱いた自己の信念にどこまでも忠実であろうとする 「誠実」 な人間こそ、そういった迷路に迷い込みやすいものなのだ。


追記: いささか刺激的な題をつけてしまいましたが、なにも 「素人は黙っとれ」 とか 「素人は口を出すな」 というわけではありません。

そのへんの自覚がなく、なんでもかんでも安易に口をはさみたがる傾向がいろんなところに見られるのでは、ということがこの記事の趣旨です。 






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Last updated  2007.12.23 10:58:19
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探偵とポー。   三介 さん
何で読んだか、確かベンヤミン辺り?覚えてませんが。
都市大衆[貧民]がどっと誕生して、人間の顔の見える関係が失われていく過程で、ポーが得意とした[探偵]ものが広く書かれ、読まれるようになるとか。
日本で言えば60年代の高度成長や、世界的には植民地の独立で、人の流動性が増して、阿Q的な存在が、戦禍や経済破綻を重ねる中で、世界的に大増殖する。
これが、『陰謀論』の培養「父」でしょうね。探偵の「母」ともなるんやろうけど、「観客」兼潜在的「トウシ」も生まれる・・。
久々にysbeeさんやTENJINさんのところ覗きにいったら、え?!ッと思うような質的変化を感じました・・。
句末たもんだNHK・・。 (2007.12.24 00:08:13)

Re:探偵とポー。(12/21)   かつ7416 さん
三介さん
ysbeeさんですか。覗いたらホームでの詩の出典が間違っていました。
「フランスに行きたし」は萩原朔太郎ですね。
立原道造はまったく詩風が異なります。

朔太郎には「群集の中を求めて歩く」という詩があります。

私はいつも都會をもとめる
都會のにぎやかな群集の中に居ることをもとめる

アメリカとは違って、ロシアには確かにいろんな陰謀めいたものは感じますね。ジャーナリストの不可解な死とか。
いろんな動きが不透明な中で、陰謀論というのには、すっきりした説明を与えてくれるという利点があります。これは、宗教による世界の説明とよく似ています。
宗教といえば、グノーシス主義なんてのは、実に壮大な陰謀論です。なにしろ、創造主たる神によってわれわれは欺かれているというのですから。
ある種、これは陰謀論の原型のように思いますよ。
(2007.12.24 00:41:43)


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