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カテゴリ:神話・伝承・民俗
「節分」 とは、ほんらい春・夏・秋・冬の季節の分かれ目のことであり、立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれ前日を指す。いまでも正月のことを新春と呼ぶ習慣が残っているように、もとは春が新年のはじまりであって、旧正月と暦上の冬と春の区切りである節分はほぼ同時期になる。 ただし、立春が太陽の運行に基づいているのに対し、旧暦は基本的に月の運行に基づいているから、正月と立春の関係はかならずしも一定しない。ときには、年が明ける前に立春を迎えて春になることもあり、そこから、明治に短歌革新を掲げた正岡子規により、「実に呆れ返つた無趣味の歌」 などとぼろくそにいわれた、古今和歌集巻頭のこんな歌も生まれている。 としのうちに 春はきにけり ひととせを
「おに」 という語にも、昔から諸説があって、今は外来語だとするのが最も勢力があるが、おに は正確に 「鬼」 でなければならないという用語例はないのだから、わたしは外来語ではないと思うている。さて、日本の古代の信仰の方面では、かみ (神)と、おに (鬼)と、たま (霊)と、もの との四つが、代表的なものであったから、これらについて、総括的に述べたいと思うのである。
「魏志倭人伝」 には、卑弥呼について 「鬼道を事とし能く衆を惑わす」 とある。「鬼神を敬してこれを遠ざく」 とは孔子の言葉であり、「断じて敢行すれば鬼神もこれを避く」 とは、『史記』にある趙高の言葉だが、中国での鬼とは、もともと死霊のことを指す。「怪力乱神を語らず」 と孔子は語ったが、儒教とはもともと祭祀の礼からはじまったそうだから、孔子とて、そのような存在まで否定したわけではない。 (2) 道教や仏教を取り入れた修験道成立にともなう山伏系の鬼(天狗も) (3) 邪鬼、夜叉、羅刹、地獄の鬼などの仏教系の鬼 (4) 放逐者や賎民、盗賊などの「無用者の系譜」 から鬼となったもの (5) 怨恨・憤怒・雪辱など、さまざまな情念をエネルギーとして鬼となったもの
かりにそうだとすると、かつては新年に歓待されていた鬼が、いまや子供にすら豆を投げつけられて追い払われるようになったわけで、ずいぶんと落ちぶれたものだ。最後は、上で冒頭を引用した折口信夫の 「鬼の話」 の結語から。
このような表現は上の(5)の応用のようなもので、その強さとは、もちろん相手を圧倒する攻撃を主とした剛の強さであり、したがっていったん受けにまわると、あっけなく敗れてしまうというイメージも伴う。ただし、実際のところ、この二人がどうだったのかまでは、残念ながらほとんど知らない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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グリム童話も、明治時代に最初に訳されたときは、
「Daemon」を「鬼神」としていたそうです。 いまでも訳の古い本を見ると、英語のdemonが、 「鬼神」となっていることがありますよ。 (「鬼神(デーモン)」なんて、振り仮名をつけていることがある。) いつから、「悪魔」って言われるようになったんだろう? (2010.02.11 21:32:07)
たんぽぽさん
西洋の説話や伝承にも、鬼だかなんだかよく分からぬものはいろいろ出てきますね。ゴシック建築などでは、そういう奇怪な生き物が装飾に使われたりしてますね。 そういものは、もとをたどれば、たぶんキリスト教伝播以前の民間信仰などに源を有するのでしょうが、キリスト教の観念からすれば、善なるものは神と天使だけで、それ以外はすべて悪より生じたものとなるってことなんでしょう。 >いつから、「悪魔」って言われるようになったんだろう? 詩人のハイネに「流刑の神々・精霊物語」という薄い本があります。これなんかに、そのへんのことが書かれてるみたいですよ(いちおう、持ってるのだけどまだ読んでない) (2010.02.12 13:38:43)
alex99さん
>「鬼の研究」 >昔買ったのですが、読まないまま、引っ越しもあり、正確な所在がわかりません >ぜひ読みたいものです(笑) ----- 「情念」だの「怨念」だのと、観念的な言葉がやや多いのが、ちょっとばかし70年代の雰囲気を感じさせます。 処分した覚えはないのに、いつの間にか行方不明になった本は、何冊かあります。こっそり、だれかが持っていったのかもしれません。 (2010.02.18 21:25:14) |