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カテゴリ:鹿児島の城と麓
2月18日、竹田神社を訪ねた後、近くの加世田麓に行く。
加世田麓の地頭仮屋跡は現在「加世田幼稚園」になっている。立派な石柱門や石垣にその名残を留めている。 ![]() そのお仮屋跡から前に立派な木と武家門のある屋敷を見ることができる。 ![]() ![]() 竹田神社の手前、270号線沿い右側にも武家門があった。白塗りの石蔵もみえる。 ![]() ![]() 武家屋敷の路地。歴史を感じさせる石垣や生垣。 ![]() 格子戸のある武家門もあった。 ![]() 別府城跡入り口(加世田小学校跡でもある)。下は案内板 ![]() ![]() 別府城(加世田城)は治承元年(1177年)別府忠明によって築かれた。別府氏は桓武平氏良文流で忠明の時に別府を名乗り、別府城を居城にして代々続いたが、応永27年(1420年)島津久豊に降った。島津宗家勝久の跡目を狙った薩州島津家当主島津実久は、嫡子貴久を勝久の養子として宗家を継がせた島津忠良(日新公・竹田神社祭神)と激しく対立するが、天文7年(1538年)島津忠良が猛攻を加えて攻め落とした。現在は尼ヶ城公園として石碑が建てられ遺構は残っていない。公園の東側には別府忠明を祀った別府神社がある。 参考文献「日本城郭大系」(第18巻) 別府城址石碑 ![]() 加世田小学校跡門柱 ![]() 別府城~尼ヶ城公園までの沿革史 案内板 ![]() 武家屋敷に残る仁王像 ![]() ![]() ![]() 別府城の下に残る武家門 ![]() ![]() 屋敷の間の路地。石垣の上に生垣がある。 ![]() 武家門 ![]() 武家屋敷のある麓の通り ![]() 今回、竹田神社と加世田麓を半日かけてまわってみて、有名な「知覧麓の武家屋敷」や「出水麓の武家屋敷」と同じく歴史的にも観光的にも素晴らしい歴史遺産だと思った。 ここを守る方々は大変だろうが、この麓をいつまでも大事にしていただきたいと思うことだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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