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カテゴリ:鹿児島の歴史
仙巌園から北へ約800m、花倉御仮屋跡に到着。戊辰戦争軍用貨幣の「薩摩二分金」を造ったと言われる場所である。弘化4年(1847年)9月に建てられ、邸苑は文久3年(1863年)ごろ廃邸となり、建物は同年7月薩英戦争直後、国分村の仮屋として移された(「磯の名所旧蹟」による)という。上の写真は御仮屋跡の石壁である。 「仙巌園附花倉御仮屋庭園」として国指定名勝となっており、私も写真では見ていたが、山の中に突然という形でこの石壁を見たときはその素晴らしさに目を見張った。いつか整備されて一般に公開される日が待たれる。 下は「朱御門」表門=西門である。 屋根付きの門 御仮屋表門手前に「石造りアーチ橋」がある。擬宝珠のついた欄干があったそうだが、今はは残っていない。 調所広郷が、熊本の石工・岩永三五郎に命じて造らせたといわれる。 川上から写した写真 川下から写した写真 庭内に戻って「石風呂」 お湯を沸かして入れたそうだ 井戸跡 庭石の残り 折れた石橋 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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