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カテゴリ:旅行・ドライブ
ツアー客24人を乗せたバスは一路 高知市内へ向かう。 私の次のお目当ては高知城である。と言うのも客の選択で高知城歴史博物館か高知城のどちらかを80分かけて見学するというのだ。私たち公園化されて綺麗に整備された4人は高知城を選択しまだ見ぬ城へ向かった。県庁も隣にある高知の中心部である。 案内版によれば、「高知城はもと大高坂城といい、南北朝時代に大高坂松王丸が南朝に応じ、これによって北朝方と戦ったと伝えられる。戦国時代、長宗我部元親は土佐一国を平定、さらに兵を進めて四国を併呑し、天正16年(1588)ここに築城した。しかし水難が多いため、数年を経ず瀬戸に移った。 山内一豊は、関ヶ原の戦功により、遠州掛川(6万石)から土佐(24万石)に封ぜられ、慶長6年(1601)9月、百々越前守を築城奉行に任じて工を起し、2年後、本丸を完成した。 享保12年(1727)越前町より出火し、全城大半類焼、同14年再建に着手。慶長創建の姿にならって施工し、24年を経て宝暦3年(1753)11月に竣工して、現在に至っている。 明治維新後、二の丸、三の丸の建造物を破壊し、本丸と追手門のみ残して、城域を整理し、花木を植え、公園とした。 昭和9年1月、天守閣及び追手門の建物が国宝(現在は重要文化財)に昭和34年に城域一帯が史跡に指定された。また明治6年、県立都市公園となった。 戦後は各建物の修理に着手。追手門は昭和26年に、天守閣は同30年に、その他の諸建造物は34年3月にそれぞれ改修竣工した」とある。 別名、鷹城と言われている。江戸時代には土佐藩の藩庁が置かれた。日本百名城の一つである。 下は追手門 土佐が生んだ自由民権運動のカリスマ・板垣退助の銅像 あの有名な山内一豊の妻・山内千代像 本丸正殿 天守 高知城の入口にある高知県立高知城歴史博物館。今回は高知城見学を選択したので時間不足で見学することはできなかった。 このあと、この日の宿・ザ クラウンパレス新阪急に向かった。 その途中で高知駅前を通過。すると三志士・左から 武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎の像が・・・。 慌ててシャッターを切ったのがこの写真。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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高知城、山内一豊さんゆかりのお城でしたか。
でも、お城と歴史博物館の二者択一はちょっと辛いですね。 両方見たいですよね、鹿児島からでも四国は遠いですもの。 それにしても、四国には、まだまだ見どころがありそうですね。 東京からはさらに遠く、なかなか行けないので、クマタツさんの目をお借りしての四国観光、うれしいです。 (2018.01.07 14:10:10)
こんばんは(^^)
高知城歴史博物館か高知城の選択。 これは迷いますよね~。 でも私も、きっと高知城を選ぶと思います(^^)v 高知城、とっても立派!!! 見ごたえがありますね(^^) 素敵な写真の数々。 選択は正解かな♪ (2018.01.07 19:36:24) |