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カテゴリ:鹿児島の歴史
次に向かったのは、霧島市溝辺町山ヶ野方面。 昔のままの武家門に立ち寄る。ここには「郷士門」という表示がなされていた。 道を歩いていると「薬師堂跡」の説明版に行き当った。 道を進むと史跡の方向表示板があちらこちらに作られている。 金山があって、昔は栄えた場所であっという証拠だろう。 「山先役宅跡」 鉱山技師長 鉱山現場の最高責任者 山の創業や町の諸事業運営の中心的な役割を担っていた。扶持年50石だった。 御座は藩主が来山した時、宿舎となった。20代綱貴、28代斉彬、29代忠義の来山がはっきりしている。御座の下の商店街は人々が多く集まり賑わった。大正初年頃まで残り、正月等は人の肩が触れ合うほど賑わったという。 御座の門は二つあり、正面が通用門、西の方が黒塗りの門で、これは藩主が来たときだけ開き、かねては閉ざされていた。藩主が休まれる所は、床下に全部石が積まれ、床下に忍びいることはできないようになっていた。 鹿児島史談会の史跡探訪はこの(その七)で終わるが、当日配布された史料やパンフレット「黄金の郷 古のロマン 山ヶ野金山・永野金山の歴史探訪」や「山ヶ野金山史跡めぐり」「西郷菊次郎と黄金の郷」などを見るとまだまだ見るところが多い。暇をみつけて再挑戦したいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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