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カテゴリ:鹿児島の歴史
次に訪ねたのはオジイさん4人にはふさわしくない遊覧車のある国分の「城山公園」である。 コロナ禍の最中にもかかわらず駐車場も満杯で、親子連れで溢れていた。 私が2015年7月8日と7月11日にブログに書いた、ここ城山公園の「十三仏」や「見事な薬研彫りの供養塔」を訪ねたときはそれらの史跡に夢中で、公園のこのような賑わいは全然目に入っていなかった。それだけに国分の人々の憩いの地だったことを知り驚いた。 公園はきれいに整備され、緑の芝生がきれいだった。 鹿児島湾(錦江湾)の遥か彼方には桜島が見える。鹿児島市内(右方向)からいつも眺める桜島とはまた一味違う。 順路から言えば逆になったが、城山公園の登り口に島津義久の墓がある。 先日のブログに書いた義久の居城・舞鶴城跡から数百メートル南の方に位置する。この地は舞鶴城を鎮護した金剛寺跡(真言宗)である。 この墓所については、2015年6月27日、7月1日、7月4日に当ブログに書いた。 下の写真は島津義久(島津家第16代当主にして島津四兄弟の長兄)の墓標 戊辰戦争の碑 日露戦争の慰霊碑 日清戦争の慰霊碑 西南戦争の慰霊碑 亀趺の上に龍の像 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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