日記代わりに講義を貼り付けます:
講義:
受講者の皆様、私が大学3回生終わりから開始致しました
<英語強化の為の論理的思考訓練>であります、新聞投稿です。
初期掲載分のご紹介です。当時は、リクルート疑惑が
問題となっており、同疑惑、及び、消費税導入で選挙時に
土井さん率いる社会党がかなり票を伸ばしました。
懐かしいですね。意見の構築をご参照にして下さい。
【1989.7.8 京都新聞「窓」欄】タイトル:学術の成果社会還元を
改めて言うまでもなく、環境問題から政治に至るまで、
現在の日本は、数多くの難題を抱えている。もし学問とか
学術研究の成果が社会に還元されていたなら、こうはならなかっただろう。私見するところ、学者らの研究はほとんど社会に
還元されていない。彼らは自分らだけで研究を進めている感が
ある。
学問とは、結局、社会へ還元されるべきものであり、その結果、
文化の向上に貢献するものである。英語教育を例にとると、
日本には多くの優れた英語学者や英語教育の専門家がいる。
そして効果的な学習法や指導法について、論文が書かれ
学会も開かれている。しかし依然として、学校の英語教育は
よい方向へ変わっていないし、英語を使って異文化と
接触できる人はめったにいないではないか。つまり学者らは、
何の為に研究しているのか、という事になる。
学問とは、人間の生活や文化の向上にこそ、その目的がある。
日本には今、数え切れないほどの難題がある。その遠因の一つには、学問や研究の成果が、社会に還元されていない事もあると
言わざるを得ない。学者や専門家は閉鎖的にならずに、もっと
自分の専門分野のことを社会還元に積極的になるべきであろう。
【1989.7.30 京都新聞「窓」欄】
タイトル:主権者として厳しい目持て
先の選挙で、国民主権ということを改めて実感した方は
多いと思う。ただ主権者の一人として私は、
次の二点を申し上げたい。
当欄に寄せられる投書を読んで感じた事である。
自民党にあきれたから、それまで支持もしなかった野党に
票を入れたという事は、いかがなものか。
野党はすべて消費税反対であったが、それに代わる新しい案や
考えを具体的に示しただろうか。否である。もし反自民として
入れた野党の新しい税制が納得出来ぬものとなったら、
一体どうなるだろうか。
消費税等自民党の政策に反対する投書をよく見るが、
ただ反対意見を述べるのではなく、主権者として、
それらに代わる新しい案や考えを述べる方が、
主権者たるべき姿であると思う。主権者は政治家に
振り回されている感がするし、これは主権者が無能の為で
あると考える。消費税に反対しているから、野党に入れる、
というのではなく、具体的にそれに代わる案を示し、
尚且つ、それが現行のものより優れているから、
その党に票を入れるとしなくてはならない。
我々は主権者なのだから、もっと厳しい目で選挙にあたり、
政治批判の時は、それに代わる自分の意見を述べれる様に
出来なければ、日本の政治は決して改善しないと思う。
【1989.5.24 京都新聞「窓」欄】
タイトル:傍観しないで政治に関心を
先日の胡耀邦総書記の死去以来、規模を大きくしながら
激しい学生ストやデモが続いている。
これは自国の将来を真剣に考えているからであろう。
日本人は、この姿勢を学び、政治にもっと強い関心を
持つべきである。
私の寮に、数人の留学生がいる。彼らは、実によく新聞を読み、
自国や国際情勢に対して自分の意見を持っている。
頭の下がる思いである。自分の国は、自分が支えるのだという
意気が感じられる。
日本の場合は、どうだろうか。日本人は政治への関心が
極めて薄いと思う。経済大国として、今後さらに世界に
貢献していくべきであるのに、多くの人は、豊かな生活に
おぼれており、多くの人が、私利私欲のために行動している。
今後の政治や日本の役割のことを、心底から考えている人は少ないと思う。結局、以上のことがリクルート疑獄、消費税導入等を
引き起こし、また国民は、それらの問題に対して、
ただ傍観しているという結果をも引き起こしている。
私は、人々をアジる気は全くない。ただ、政治や歴史の流れを
変えてしまうような暴動を起こしかねないほど、強く政治に
関心や意見を持つことが、日本人にはいま重大である。
【1989.6.3 京都新聞「窓」欄】
タイトル:外来語の使いこなしも大事
先月三十一日付の当欄に、最近の外来語の多さについて意見が
あったが、私は反論したい。
外国の言葉がカタカナで表記されると、それは既に外国語でなく、日本語になっている。発音が日本語化してしまうからである。又、意味が本来のものとズレている場合もあるからだ。だから、
カタカナ表記である以上、それは日本語と見た方が正しいと思う。
言葉は生き物であり、進化している。外来語など未知の言葉に
出合ったら、われわれも、それを覚えるように努め、
ついていくべきだ。さらに、辞書等で、その外来語の語源等も
調べていけば、おもしろいし、日本と外国との考え方の相違も、
発見できるだろう。私が、日本語の中の外来語に賛成するのは、
このあたりにある。
確かに、格好をつけるために、わざと横文字を使う人もいるが、
彼らは、その言葉の背景等を知らずに、ただ使っているだけで
あり、真の国際人とは言い難い。
外来語に対して不平を言う人も多いが、むしろ、それよりも
未知の外来語に出合ったら、その言葉から、文化の相違などを
調べたりする姿勢を持つべきである。
【1989.8.8 京都新聞「窓」欄】タイトル:語学留学なら反対
前回留学の話題が出たが、もし語学留学なら、私は反対する。
本当にやる気があれば、日本でも英語は十分に習得できる。実際、海外へ一歩も出ることなく英語を学び、練習し、
「お前はアメリカ人か!」と、アメリカ人から言われる程までに
なった人を何人も私は知っている。
本当にやる気があれば、国内で十分だと確信する。
留学というのは、その国の言葉を習得するためにあるのでなく、
例えば、英語で経済学をするとかのように、その言葉で何かを
学ぶ為にあるものである。単に外国へのあこがれや語学習得の
為であるなら、行かぬ方がよい。むしろ国内で十分な語学力を
身につけて海外へ出るなら、私も賛成であり、大いに勧めたい。
【1989.8.19 読売(夕) “土曜ボイス”テーマ
「派閥は是か否か?」】 タイトル:思想と政策上の集団に
派閥は思想的な集団でなければならない。
一政党としての案を提出するまでの過程で、
各派の意見を徹底討議、より理想的な内容へと
高めていくのである。
十分、討議を尽くした案は、だれが見ても納得出来るものと
確信する。
しかし、自民党の派閥は個人の立見出世を目的とした
金脈人脈的性質のもので独裁性がある。
大きな弊害は、政権のポストをめぐって裏工作が生じやすい。
このため有能な人材が登用されにくい。それに密室政治が
続くことになる。それが、今回の新総裁選出で如実に示された様に思える。
派閥がこのような性質をもつ限り、国民の政治不信は
ますます深まり、派閥が悪の象徴の様に見られるのである。
自民党のような<親分・子分的>な体質ではなく、
ディベート(一つの論題に対して説得性を競う)を
採用した政策上の派閥なら、政治に好結果が期待できると考える。
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最終更新日
2003年05月20日 17時32分06秒