論理的思考訓練実例――新聞投稿 ⑦
お馴染みなりました講義です。
英語の向上には、論理的思考力が不可欠です。
今日の私があるのは、
この論理的思考力と日本語の力です。
日本語の力が上がれば、英語表現の機転が自在に
利く様になります。
私は、870本くらいの原稿がこの10年くらいに載りました。
以下は、初期の頃の物です。今回の分は、大学を卒業して、
昭和貿易㈱という老舗の素晴らしい商社に入った頃のものです。
得意の英語を使える仕事はやり甲斐の大きなものでした。
私のこの新聞投稿活動が、翻訳能力の基盤になっております。
【1990.2.10 読売(夕) 土曜ボイス】
テーマ:「候補者の戸別訪問」
タイトル「米や英では議論の場に」
戸別訪問により、有権者が候補者を判断できる能力や
土壌が日本にあるだろうか。
双方が政治的姿勢を改めない限り、戸別訪問は無意味である。
アメリカやイギリスでは戸別訪問は民主政治の根幹とされ、
盛んに行われている。
そこには知的論争という土壌があるためだ。意見衝突が当然と
受けとめられ議論で問題解決を図る。
選挙運動でも、有権者は候補者と言論で戦い、
それによって候補者を厳しく判断する。また候補者も論理的な
考えを持たなければ職責は全うできない。
それが政治に良い結果を生む。
ところが日本では、一般的に政治に対する知的論争はあまり
聞かれず、むしろ情で裁く傾向がある。選挙運動もそれを反映し、車での連呼や街頭での握手が多い。
これらは人間の情に訴えるものである。有権者も候補者へ
何の質問もせず、一方通行的な演説で判断する。
このような状況下で行われる戸別訪問は、情に訴える、
単なる顔見せ程度で終わるだろうし、
買収などの事件にもつながるだろう。
【1990.2.17 西日本新聞】
タイトル:「経済力生かし世界の心臓に」
われわれ日本国民は、いまソ連のペレストロイカの成功に
協力すべきだと思う。ペレストロイカの成否が世界全体の将来を
決定すると言ってよい。もし失敗すれば、経済的不満から
国民が爆発し、ソ連邦が無秩序状態となり、崩壊する可能性が
大きい。
ソ連を含め経済上苦境にある国からすれば、
日本は非常にぜいたくな国である。
われわれは豊かさのみを追及せず、企業や政治とも協力して、
余剰な物資をソ連へ送るといった援助をすべきである。
われわれ日本人は無欲の精神に立ち、突出した経済力を基盤に、
世界の心臓となるべきである。長期的にみればその方が
日本のためにもなる。これを理想論に終わらせてはならない。
【1990.2.15 京都新聞】
タイトル:「戦後世代にも戦争責任ある」
当欄十一日付の、天皇の戦争責任の意見にこたえたい。
戦争責任については、巨視的に考えるべきだが、
方向が、天皇だけに向けられている気がしてならない
戦争責任は天皇を含め、当時の日本の一人ひとりに等しくあり、
さらには、戦争を知らぬ世代にも戦争責任がある、と考える。
前者は帝国主義に盲目的に従わされ、そこから脱却できず、
また脱却しないように
他国に残虐を繰り返したことへの反省であり、
後者は、敗戦によって得た民主主義を本物にし、
日本に定着させるという義務である。
民主主義の確立と永続のため、一人ひとりが努力するという
戦争責任は、時代が変わっても終わることはないと思う。むしろ、戦後半世紀近くたっても、いまだ軍事力が維持されてきた事実に、われわれの戦争責任が果たされてないことを悟るべきである。
天皇の戦争責任の有無の議論に時間を費やすより、
天皇を含め我々一人ひとりが、民主主義に沿って
日本や海外のために力を尽くすことが重要だと思う。
【1990.4.7 西日本新聞】
タイトル:「海外旅行の前に自己確立目指せ」
「国際化」が叫ばれて久しいが、日本はいまだに
“顔のない、不可解な国”と世界からみられている。
海外旅行者も急増しているのに、これはなぜか。
国際化の条件とは、外国語が話せることではなく、
自己を確立していることにあると思う。
つまり、どんな事柄にも自分の意見を論理的に言えたり、
一貫した信条に従って行動できることが国際化の重要な条件と
考えている。
英語では買い物はできるが議論はできない、というのでは
国際化とはいえまい。なぜなら、外国では独立独歩の
精神が根づいており、意見を言えないことは忌み嫌われるからだ。
貿易摩擦の原因はこのあたりにもあるだろう。
流行だからといって、留学や海外旅行をするのが国際化とは
思わない。むしろそういう風潮に左右されず、海外へ出る前に、
自分の信条を持ち、自己確立することこそ、日本の国際化に
つながるのではないだろうか。
【1990.4.28 読売(夕)土曜ボイス】
テーマ:<高額納税者番付の是非>
タイトル:「金がすべて」の風潮生む
税金であれ、寄付金であれ、金額で順位をつけるのは、
人間の心に病を植え付けているようなものだ。
納税は国民の義務である。高額所得者の公示は
法により定められているとはいえ、その額にこだわっては
「お金がすべて」といった偏った考えが生じやすい。
今では、この風潮がまんえんしかけている。
政界などの汚職事件は、まさにその最たるものである。
お金に人間が支配されている風潮は、
この長者番付にも言えることだと思う。
それに高額納税者公示は人頼みという日本人精神の
表れではなかろうか。ある特定の人をたて、
何らかのかたちで崇拝するという考えである。
長者の中には地上げにより、あるいは土地転がしにより
稼いだ者もいるはずだ。
公示の目的が“税務”であっても、番付を見る国民は、
そうとは理解しないだろう。
長者番付公示は廃止すべきだ。
【1990.5.11 西日本新聞】
タイトル:「入社1ヵ月、今苦労をしたい」
商社に入社し一ヶ月たった。「今のうちに苦労して鍛われたい」と最近つくづく思う。
若いうちは楽をせず苦労すべきではなかろうか。
「鉄は熱いうちに打て」という。
朝七時出社。夜十一時帰宅。これが現在の生活である。
これからもそうだろう。
肉体的・精神的に疲れてくる。
その一方で日々勉強になることが多い。
そのためか、通勤途中に闘志がわいてくることがよくある。
私は学生のころからまじめな方であったが、
それでも今のほうがはるかにしんどい。
しかし、これを乗り越えないと一人前にはなれまい。
最近は楽を求める若者が多い。学生でも授業をサボり、
不正をし、卒業しようとする者が多いが、若者は苦労すべきだ。
社会人となって本当にそう感じている。そして若い時の苦労が
将来の成功につながってくる。
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最終更新日
2003年06月12日 20時21分00秒