☆1996年8月の7〜8日頃の事、強い衝撃
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・私は、1996年の6月中旬に、
故郷の飯塚に帰ってきた。
都会から。
福岡県警の試験を受ける為に。
・試験受験〜結果が出るまで、直方のある工場でアルバイトをしていた。
そして、ある夏の事:それは、
確か、8月7日、か、8日の事。
仕事外出から戻ってきて、
居間を通ると、
父が、晩酌をしていました。
父とは折り合いが悪くて、
普段はなかなか話を
交わしませんでしたが、
その時は、びっくりしたことがあり、
次のように訊かざるを得ませんでした:
「なんで、いま、「寅さん」があるよると?」
朝方、テレビ欄を見ていたが、
特に、『男はつらいよ』が
放映されるとの案内も、
その日はなかった。
私は、見逃さない為に、日々、新聞の
テレビ欄を確認するのが日課であった。
その日は、『男はつらいよ』の放映予定も無い事はとっくに
確認しておりますのに、
夕刻、居間を通ると、
寅さん映画があっていまして、
父は、それを見ながら、
ビールを飲んでいました。
私が通り過ぎる、父息子特有の、
とげとげした雰囲気にも拘わらず、
俺は、訊かざるを得ませんでした。
「なんで、いま寅さんがあるよると?」
その時、嫌な予感が私の脳裏をよぎりました。
まさか、渥美清さんが亡くなったのでは・・・・
それは、現実の事でした。
1996年8月4日に他界され、
葬儀など一切せずに、ご家族だけで
荼毘に付されたそうです、というテレビ報道をあとから知りました。
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私は、渥美清さんがとっても好きで、
大好きな俳優です。
当然、いまでも、大好きな役者さんです
渥美清さんが亡くなった、
というニュースは、一生涯の中で、
最も強い衝撃でした。
渥美清さんは、言葉の言い回しがとても独特で、味があり、面白いですね。
晩年は、健康にすぐれず、しんどい中での撮影でしたし、
体調が悪いので、元気でイキの良さは、見られませんでしたが、
ーそれは、やむを得ませんがー、
私は本当に好きで、私自身の
普段の所作も、渥美清さんの影響を大きく受けています。
私は寅さん映画も好きですが、
それ以外の渥美清さんのテレビドラマや
映画も大好きで、その演技力や、
言葉の使い方、所作の楽しさが
とっても好きです。
名優は、他にも、もちろんたくさんいますが、
私には、渥美清さんは、異彩を放つ、
素晴らしい俳優さんです
後年、【男はつらいよ】のモデルの高木屋さん(葛飾柴又)に
数回、伺って、渥美さんがよく座っていた席で、ひと時を過ごしました。
それくらい好きな俳優さんです
ですから、
今から22年前の1996年の
8月4日にひっそりと
亡くなった渥美清さんの、この訃報は、私は、強い衝撃で、その衝撃は
未だに忘れておりません。
★この書き込みも8月4日にしたかったのですが、
遅れてしまいました。もう、渥美さんがなくなって22年たちます。
早いものです。また、テレビで、
寅さん映画や、そのほかの渥美さん出演・主演の映画やドラマを
積極的に再放送して欲しいです、
末次通訳事務所・末次賢治拝
写真は、寅さんの扮装以外の
渥美清さんの写真です