テーマ:映画館で観た映画(8529)
カテゴリ:映画
時代を超え、志は未来に生き続ける・・・。 江戸末期、ペリーの来航に震撼する日本の片隅で、五代才助(のちの友厚)と坂本龍馬は新しい時代の到来を敏感に察知していた。 “攘夷か、開国か”…日本の未来を見据える二人の人生が、この瞬間に重なり始める。 そんな折、遊女のはると出会い“自由な夢を見たい”という想いに駆られた五代は、誰もが夢を見ることができる国をつくるため、坂本、岩崎弥太郎、伊藤博文らと志をともにする。 土佐の坂本龍馬、岩崎弥太郎、長州の伊藤博文ら同年代の若者たちと学び、遊び、夢を語りあい、さらには高杉晋作、勝海舟、大久保利通、西郷隆盛、大隈重信、トーマス・グラバーといった日本を語る上で欠くことが出来ない偉人・傑物たちとも交わり、友として彼らを支えた。 近代日本経済の基礎を構築し稀代の≪天外者(てんがらもん)=凄まじい才能の持ち主≫と呼ばれた五代友厚。 武士の身でありながらも上海に渡って蒸気船を購入し、海外貿易による商業立国を説き、イギリスへ留学生を送り出し、自らもヨーロッパを視察する。 明治政府が誕生すると政府役人となるが、大阪を「東洋のマンチェスター」に発展させるため実業家に転身。 貨幣造幣局の設立、電信・鉄道・紡績・鉱山など多くの事業を精力的に手がけ、現在の大阪証券取引所・大阪商工会議所・大阪市立大学など膨大な数の組織や企業の設立に尽力した。 ≪天外者(てんがらもん)=凄まじい才能の持ち主≫とよばれた、五代友厚。 若い頃は、その才能故、才助と命名されたくらい頭のいい人だった。 彼の交友の広さに驚く。 ★まず、坂本龍馬、言わずと知れた幕末の偉人。 ★岩崎弥太郎・・・坂本龍馬と同じ藩の出身だが、彼も身分の低い侍だった。 日本の汽船総数の73%を占め、莫大な財産を築いて三菱という会社の祖となる。 ★伊藤博文 初代内閣総理大臣になった伊藤は、百姓出身だったが、英語が堪能だったそうだ。 もちろん、松下村塾の門下生だ。 坂本龍馬や岩崎弥太郎、伊藤博文らと仲がいい五代友厚だったが、決して味方が多かったわけではない。 長州藩からは、薩摩藩だからと目の敵にされ、 薩摩藩からも、西洋かぶれ扱いされ、命を狙われる。 そんな中でやり遂げるのだから、この時代の人はみんなすごい!! 伊藤博文ら長州藩の5人は、海外に行っていて、「長州ファイブ」とよばれているが、当時留学するというのは 大変なお金が必要だった。 だから選ばれた人しか行けなかった。 そんな時代に、イギリス、フランス、オランダ、ベルギーなど見て回ったのだからすごい!! 五代は小松清廉や西郷隆盛、大久保利通などの要人と知り合いだった。 長州藩の高杉晋作や土佐藩の浪人坂本龍馬とも非常に仲が良い。 このように一流の人物たちと関わり合える条件をもっていたことが五代の後の功績へと役立った。 加えて、五代が役立てたものは英語力である。 当時から外交に英語力は欠かせなかった。 特に薩摩藩城代家老小松清廉には重用されて恩義を感じ、小松死後はその妻(側室)子の面倒を見たことでも知られる。 また、当時の外交官(神戸)森山茂と交流があった友厚は、森山茂の実妹トヨ(通称 豊子)と再婚(明治3年)、活躍の場を一層広げる。 親族の永見家、宮地家、森山家共に人脈、経済力のあるバックグラウンドは、五代の交友関係、経済力、亡後の借金返済においても、恵まれた環境であったといえよう。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.12.17 00:01:26
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