偐万葉・ローリングウェスト篇(その1)
本日は、偐万葉・ローリングウェスト篇であります。
ローリングウェスト氏は今年7月19日に当ブログ記事に初コメントを戴き、その返礼訪問をさせて戴いてより、ブログ交流が始まりました。
同氏からも歌がコメントに付されるなどもあって、この2ヶ月足らずの間に歌の数がそこそこになりました。と言うことで、シリーズ第241弾にして初登場のロ氏の偐万葉と相成りました。
例によって、ロ氏は偐万葉では「呂麻呂」と呼ばせて戴くことに勝手に決めまして候。
<参考>ローリングウェスト氏のブログはコチラ。
偐家持が呂麻呂に贈りて詠める歌13首並びに呂麻呂が詠める歌10首
川崎ゆ とひ来しませる あらたしき どちは同期と 知らくしよしも
(注)ロ氏のブログ開設は2007年4月29日で、偶然にもけん家持のそれと同日で
した。
(会津の田園風景)
色々と 思ふことあり この夏の 安保法制論議 危ふからずや
九条ねぎも 許さざるなり 集団的 自衛権なる 解釈改憲
焼けあとに さきし花なり ななととせ へたるこの夏 咲き継げカンナ
呂麻呂が返せる歌3首
春頃の 強気と自信は 何処へやら 支持率落ちて 低姿勢自民
(早く質問しろよ・今は封印)
九条ネギ 憲法違反が 煮立っても 鍋に蓋すりゃ 食えるはず
(安倍奉行)
勉強会 沖縄刺激の 百田さん おじゃんになれば 「永遠のゼロ」
(海賊と呼ばれた男)
(東京大空襲)
呂麻呂が贈り来れる歌1首
炎暑日は 頭をひねり 湧き出づる 山盛りの歌 山頭火かな
(偐山頭火が追和せる歌1首)
猛暑日は プールだ水だと 大騒ぎ
孫の笑顔に 腰痛(こしいた)忘れ <惚山頭炎>
偐家持が追追和せる歌2首
炎天は 走らぬものと 家にあり
三十一(みそひと)文字を つづる児やたれ
体(てい)よくも わがなす歌を 申さめど
暑きに過ぎて だれてぞありぬ
(本歌)紫は 灰さすものぞ 海石榴市(つばいち)の
八十のちまたに あへる児やたれ(万葉集巻12-3101)
たらちねの 母が呼ぶ名を 申さめど
路(みち)行く人を たれと知りてか(同巻12-3102)
呂麻呂が贈り来れる歌1首
橿原に 都建てたる イワレヒコ 船出の耳津 5月訪ねし
偐家持が返せる歌1首
耳川の 美々津は耳に 聞きしかど まだふみやざき 道はた遠み
(神河内長髄彦<かむかはちながすねひこ>)
(注)道はた遠み=「道が遠いので」の意。「た遠し」の「た」は接頭語。
例:た易(やす)き、た迸(ばし)る
呂麻呂が贈り来れる歌1首
盆過ぎて 戦後の節目 70年 覆水盆に 返らずの夏
偐家持が追和せる歌2首
ななととせ かへらぬぼんの ふくすいも
むだにはすまじ かたりつぐ夏
すぎたるは みなとりかへし つかざれど
ふまへてあすへ けふをあゆまな
呂麻呂が贈り来れる歌1首
はなてんは 懐かしレトロの アーケード
気さくなおばちゃん 浪速の華よ
(12年前の関西勤務経験者、愚歌の放出)
偐家持が追和せる歌1首
めもはなも てんにやならむ 難波女(なにはめ)は
はなしはじめて をはるを知らず (はなてんをのこ)
(放出操車場・当ブログより)
呂麻呂が贈り来れる歌1首
駅前の 雑多な景色 懐かしき 時代の流れ いたしかたなし
偐家持が追和して詠める歌1首
ごたごたと ありてちかしき まちなみの いづくやゆきし 今の大阪
崩(く)ゆるなく 峰なす岩を 畏(かしこ)みと
恋ひてまた来し 大崩山(おほくえやま)に
呂麻呂が返せる歌1首
失敗で 崩れた気持ち 立て直し 日向の復讐 大願なし得(う)
(大崩山)
呂麻呂が贈り来れる歌1首
懐かしき 瀬田の唐橋 思い馳せ 天下制する 要害の地に
偐家持が追和せる歌1首。
唐橋の 往き来(く)見つつや いにしへに
恋ふるわれはも 瀬田の流れ藻
(瀬田の唐橋・当ブログより)
(脚注)掲載の写真は「当ブログより」とあるものを除き、ロ氏のブログからの
転載です。