カテゴリ:近隣散歩
先日、大阪市天王寺区夕陽丘の浄春寺の門前で芭蕉塚と対面いたしましたが、今日は花園ラグビー場の近くの墓地で、芭蕉碑に出会いました。これまで、何度となくその前を通っていましたが、その存在に気付きませんでした。このような場所に芭蕉の碑と言うか芭蕉の塚と言うか、このようなものがあるとは驚きでありました。
台座の石には「門人」と刻まれている。芭蕉の門人に連なる人(または人々)が建立したのでしょう。傍らの副碑は「暗峠を越えて大坂に向かった芭蕉が当地を通行中、急な病を得て暫く当地に滞在し、その折、地元の人々に俳諧の手ほどきをした。後年、教えを受けた子孫たちが報恩のためにこの供養塔を建立した。」「芭蕉の流派を継ぐ地元の門人の一人が、芭蕉の遺骨を分骨して建立した。」などの伝承があることを伝えている。
芭蕉碑のあった墓地というのは、下の地図(赤丸印)でもお分かりのように、花園中央公園・花園ラグビー場の西側、道路を挟んで隣接しています。花園中央公園北側の道は暗(くらがり)峠を越えて奈良へとつながる暗越奈良街道であるから、元禄7年(1694年)9月9日(旧暦)、暗峠を越えて奈良から大坂へと入った芭蕉はこの道を通ったに違いありません。
上賀茂神社で、藤原家隆の歌碑を撮影したことから、大阪市天王寺区夕陽丘の家隆塚と浄春寺を訪ねる運びとなり、浄春寺門前に芭蕉塚を見て、今日たまたま近所で芭蕉碑と遭遇。となれば、梅旧院や四天王寺や円成院の芭蕉墓も訪ねてみようかと思いますが、何やら芋蔓式と言うか、泥縄式と言うか、いかにもヤカモチ流の銀輪散歩と言うべき趣向であります。最近は、近隣散歩もネタ切れ・テーマ切れの気味がありますので、芭蕉ネタは「大助かり」というものであります(笑)。 家隆のみそぎの歌も芭蕉の縁 (筆蕪蕉) 話は変わって、昨日は若草読書会の日でしたので、そのことを備忘録程度に簡単に書き記して置くこととします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[近隣散歩] カテゴリの最新記事
|
|