カテゴリ:近隣散歩
今日は、友人の福麻呂氏が出展されている絵画展・二元展に行こうと、天王寺にある大阪市立美術館に向かうべく、自宅をMTBで出たのであったが・・。
国道479号(内環状線道路)から勝山通りに入り、これを西に向かって走っていて、御勝山古墳の南側の御勝山南公園の前まで来て、ウェストポーチに入っている筈のカメラが入っていないことに気がつく。 福麻呂氏の絵を撮影してブログにアップするという目論見があっての展覧会行きでもあったので、出直すこととしました。スマホで撮影することも考えたが、やはりカメラにした方が良かろうと出直すことに決めた次第。 で、近隣散歩に切り換えることとして、自宅方向へ引き返すべくMTBを取って返しました。二元展は日曜日までやっているので、明日か明後日、お天気の具合を見計らってどちらかに行けばいいと思ったのでありました。 そもそも、カメラのことに気付いたのは、御勝山南公園で小休止しようと、公園に入って行ったら、ペタンクなる珍しい競技をやって居られるのに出くわし、これを撮影しようとしたからでありました。 仕方がないので、スマホで撮影。 (ペタンク) 勿論、この競技を見るのは初めてでルールなども存じ上げない。 暫く眺めていると、どうやらカーリングに似たルールのようです。 最初に、黄色の小さなボールをコートの任意の場所に投げ、競技者は金属製の野球ボール位の大きさのものを、黄色の小ボールにより近い位置に止まるようにコントロールして投げる。鶴と亀のボールになっているようで、鶴のボールを持ったチームと亀のボールを持ったチームとに分れて、得点を競い合うようです。相手チームよりも黄色の小ボールに近い位置に止まっているボールの数が獲得点数となるようです。 カーリングと同じように、近い位置にある敵方のボールを弾き飛ばして、遠くへ移動させ、自身のボールを内側に停止させるという駆け引きや戦略なども必要となる競技のようです。なお、中心点の目印となる黄色の小ボールに鉄球ボールが当たって、これを場外へ弾き飛ばしてしまうこともありますが、この場合は、元あった位置に黄色ボールを戻すことになります。そのため、黄色ボールの後ろの地面に棒などで線を書いて、その位置が分かるようにして置くようです。黄色ボールが場外ではなく、コート内に移動して止まった場合は、その位置が新しい中心点となるのか、やはり元の位置に戻されるのかは、そういうケースが見ている限りでは起こらなかったので不明です(笑)。 ペタンクという競技名は、やって居られる方から教えていただきましたが、ルールの説明は受けなかったので、詳細は分かりません。しかし、見ているうちに何となく理解したのが上のようなことでありました。 ペタンクという名前からして、日本で考案された競技なんでしょうが、お年寄りでも楽しめる気軽なスポーツですな。鶴・亀・という金属製ボールの名前からして、いかにもお年寄り向けに考えられたスポーツであることが分かるというもの。 <追記・注>念のためとネットで調べたら、ペタンクは日本ではなく、フランスで、考案された競技とのことでした。知らぬはヤカモチばかりなり、でしたか。 <参考>ペタンク・Wikipedia 御勝山南公園から、勝山通りを引き返すが、同じ道を走るのでは「近隣散歩」になるまいと、途中から脇道に入ったりして、出鱈目に走る。こういうのを「徘徊」と呼ぶ人も居るようですが、ヤカモチは気だけは若いので「彷徨」と呼んでいただきたいかと(笑)。 で、その「彷徨」の途中で「清見原神社」というのに出くわしました。「キヨミハラ」とくれば「浄御原」ではないか。天武天皇所縁の神社かと立ち寄ってみると、果たしてその通りでした。 (清見原神社) (同上・拝殿) (同上・由緒) 祭神は天武天皇ほかで、やはり天武天皇を祀っている神社です。 由緒記を下に転記して置きます。 創記の年代は詳らかではありませんが、云い伝えによりますと、天武天皇の皇居飛鳥浄御原から難波に行幸されました際、当所にご休憩遊ばしたと申します。 当時のこの所は樹木がうっそうと茂り、見晴らしがよく、住の江に浮かぶ白帆が見えたようであります。ここにご休憩されました天皇は「吉野はどのあたりであろうか」と吉野の方を眺められたと云うので、今に「吉野見」(大友町1丁目、吉野見通り)の地名が存しています。 天皇崩御の後、この地にゆかりの大伴氏が天武天皇宮を建て、崇敬したと伝えています。明治5年に清見原宮と改め、明治42年神社合祀令により、片江村の素戔嗚尊神社、中川村の松尾神社、腹見村の木守勝手神社、大瀬村の八剱神社を、小路村の中央であった大友村の清見原宮に合祀し、社号は村名小路をとって、小路神社と称せられました。(片江村、中川村、腹見村、大瀬村、大友村、以上5村を併せて小路村となる。) 現社号清見原神社は紀元2600年記念事業として行われた境内拡張、社殿・社務所増改築等を機に、昭和17年5月に改称されたものであります。 大伴氏が建立した神社がその起源ということなら、偐家持とも少しは関係があるというもので、「彷徨」の途中で出会ったのも、そのような縁による導きであるのかも知れない(笑)。 内環状線の一つ西側の狭い道沿いにある神社なので、「彷徨」であれ「徘徊」であれ、何という目的もない走行ででもなければ、先ず出会うことのない神社である。 この神社の所在位置を参考までに地図で示して置きます。 (清見原神社位置図) 家を出る時に、今日は昼食は外で済ませると言って来たので、食わずに帰宅するとブーイングになるのは必定。 時計を見ると、喫茶「ペリカンの家」には正午前位に着ける筈。ならばと中央大通りに出て、これを東上、11時45分前後に同喫茶店到着となり、ここでランチを済ませてから、帰宅しました。ついでに、喫茶店の近くのコーナンでちょっとした買い物をするという目的もありましたので、丁度よかったという次第。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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