カテゴリ:銀輪万葉
当ブログ開設の日である2007年4月29日が中原中也生誕100年の日に当たっているということは、これまでにも何度か述べていますが、その中也の故郷である湯田温泉と彼の詩にも登場する長門峡を、11月1日から4日にかけて、訪ねて来ました。
中原中也は1907年に湯田温泉で生まれている。中也の生家・中原医院の跡地は、中原中也記念館が建設され、中也関連の常設展示施設となっている。今回はその記念館を訪ねるのが第一の目的。 新幹線で新山口駅経由、山口線で湯田温泉駅へ。 (湯田温泉駅) 湯田温泉は父と二人でこちら方面を旅行した折に宿泊しことがあるが、それは50年も昔のことである。 湯田温泉駅から「おいでませ駅通り」を歩いて温泉街の方へ。 (湯田温泉地図) 突き当たって右に少し入ったところにあるポケットパークに掲示されていたのが上の地図案内板。 そこから公園通りを北へ。井上公園に立ち寄って行く。 ここに中也の「故郷」の詩碑がある。 (井上公園案内図) その名の通り、この公園は井上馨の生家、井上家の屋敷跡である。 中也の詩碑が目当ての立ち寄りであるが、色々とあるようなので、見て行くことにしましょう。 (何遠亭跡の碑) (何遠亭) (何遠亭説明碑) いわゆる「七卿落ち」で京都を追われた三条実美らは長州に身を寄せるが、三条実美を迎えるため、井上家の屋敷に増築した建物が何遠亭である。 この建物は、山口県文書館所蔵の「七卿方山口御下リ之節御旅館差図」を参考に、およその間取りを再現したものだという。 (侯爵井上家舊邸地の碑) 前庭には、三条実美の歌碑もある。 (三条実美の歌碑)<参考>三条実美・Wikipedia 君がため おもひ来にけり 旅ころも なれし二木の 蔭は忘れず (同上・副碑) 公園には、山頭火の句碑もある。 (山頭火句碑) ほろほろ酔うて 木の葉ふる 句碑の文字は山頭火自筆のものだそうな。 (同上・副碑) そして、中也の詩碑です。 (中也の詩碑「帰郷」) 文字は小林秀雄のものだという。 右の「中原中也」の文字は、中也が小学五年生の時の自筆の字らしいが、小学五年生にしては達筆過ぎる美しい字である。 (詩碑側面) 側面に刻された文章は大岡昇平によるもの。 詩碑に刻まれているのは「帰郷」の一節であるから、その全文は中原中也記念館で貰った「中也と歩く湯田温泉マップ」に掲載のものを下に掲載して置きます。ヤカモチも好きな詩にて、全文を暗唱できる詩の一つでもある。 (中原中也「帰郷」) (井上馨像)<参考>井上馨・Wikipedia 井上馨像もある。没後100年記念像とあるから、2015年に建立されたものなんだろう。 (同上) 公園北西の隅に高々とひときわ目立っているのが七卿遺蹟之碑。 この碑については、中原中也の父、中原謙助もその建立に尽力したらしいから、まあ中也と全く関係ないということでもない。 (七卿遺蹟之碑) (同上) 碑文によると、碑の建立は大正14年(1925年)1月のようだから、中也が17歳の時に建立されたことになる。中也は4月29日生まれだから、満18歳になる3ヶ月前の頃である。 この頃の中也はと言うと、京都で長谷川泰子と同棲していた時期になるかと思う。 (同上・副碑) (井上公園全景) 井上公園から中原中也記念館へと通じる道は、中也通りと名付けられている。 (中也通り) 中也通りを行く。 奥の突き当り左側が中原中也記念館である。 中也通りの一つ北側を東西に走る道が県道204号(湯の町街道)であるが、その道と中原中也記念館の前の南北に走る道・湯の町通りとが交差する角に掲示されているのが、この案内看板。 (中原中也記念館の案内看板) 記念館専用駐車場は、県道204号(湯の町街道)に面しているから、記念館を訪ねる人はコチラからやって来るのが普通なんだろう。 中也通りとは名ばかりにて、中也を偲ばせるものは何とてもない普通の道でありました。 はい、記念館に到着であります。 (中原中也記念館) 中原中也記念館は1994年2月18日開館であり、初めての訪問である。 もう昔のことで、いつのことであったかはっきりとはしないのであるが、多分32~35年位前のこと、会社の山口研修所で社員研修の講師を依頼され、出張したことがある。 講義を終えたらすぐに本社へと帰るべきであるが、出張直前に、中原中也の展示施設が出来て開館したというようなことを新聞記事か何かで知り、これは丁度良い機会と、出張にかこつけて訪ねてみようという魂胆で出かけて来たので、何か適当な口実を設けて、帰社が遅くなるので自宅に直帰するというような電話を入れて、小郡(当時は「新山口」ではなく「小郡」という駅名であった)から山口駅に向かい、中也の展示施設を訪ねたことがある。 中原中也記念館というのは、その施設のことだろうと思っていたので、再訪になるかと、ネットで調べてみて、1994年2月開館と知り、またその場所が記憶と合致しないこともあって、疑問を持ちました。 その昔の訪問時は旧ザビエル記念聖堂に立ち寄ってから展示施設へと向かったと記憶するところ、旧ザビエル記念聖堂は1991年に火災で焼失している。従って、それは1990年以前のことであり、現在の中原中也記念館ではないということが判明。 記念館の人にそのことを話すと、それは山口歴史民俗資料館ではないか、という話で、一応、納得したのであるが、その資料館の建物の姿や建物と前面道路との関係がヤカモチの記憶と合致しないこと、中也の関係資料のみを展示する常設の施設であったという記憶とも合致しないので、疑問が残ったままになっている。※末尾の<追記・注>参照 (同上・中原中也誕生之地碑) 記念館の前には、カイヅカイブキだろうと思うが、その木が高々とあって、根元に「中原中也誕生之地」と刻された石碑が建てられている。 その奥は車が数台駐車できる駐車場となっていて、金属製のテーブルと椅子が2~3組設置され、見学者が休憩できるスペースにもなっている。 記念館入口は右側奥にある。 (同上・入館入口) アプローチの右側コンクリート柱の柱間には、中也の詩のパネルが展示されている。 館内は撮影禁止なので、写真での紹介はできません。 この日は、「中也の本棚・日本文学篇」というテーマで、中也が愛読した本や影響を受けた同時代の文学に焦点を当てた展示となっていました。 パンフレットによると、2023年2月12日まで、この展示のようです。 (第19回テーマ展示「中也の本棚」パンフレット) (同上) (同上・中原中也記念館2022年度年間カレンダーより) 館内写真がなく愛想のないことですが、中也最後の詩である「四行詩」を掲載して、ひとまず筆を置きます。 (中原中也最後の詩「四行詩」) おまへはもう静かな部屋に帰るがよい。 ヤカモチも、いささか疲れました。 おまへはもう筆を置いて少し休むがよい。 中也の低い声もする。 というようなことで、続きはまた後日に(笑)。(つづく) <追記・注> 上記の疑問点が、書斎の本棚から中原中也全集第1巻を取り出して開いてみたところ一気に解決しました。その本に、昔訪ねた中也展の展示目録が挟まれていたのでした。それによると、会期は昭和61年10月1日~11月30日、場所は、記念館のお方が仰っていた通り、山口市歴史民俗資料館でありました。時期も32~35年前ではなく、46年前のことでありました。参考までにその写真を掲載して置きます。 (中原中也特別展目録) (同上2) (同上3) (同上4) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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