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カテゴリ:ニャン騒シャーとミー八犬伝
「こっちだよ。」 古びた枯れ井戸の傍に立つ女中に化けた妙椿の手引きで蟇田の兵たちは次々と井戸の中に降りて行く。 そこから続く抜け穴は身をかがめないと進めないほど低く延々百間ほど続いていた。 出口はもちろん忍びが利用している例の納戸だ。 兵士たちは武具を紐で引きずりながら、ひたすら先へ先へと進み佐貫城内の奥にある納戸にたどり着くと素早く武具を装着して後の者を待ってその場に潜み、蟇田の軍勢が城に攻め寄せたときに内からかく乱するのに備えることになっていた。 佐貫城に出入りする忍び達や陰で出入り口を警備する者は妙椿の幻術に惑わされてことごとく始末されていたから、この侵入に気づく者はいない。 こうして安房里見家の最北端の拠点である佐貫城は今や蟇田の手に落ちようとしていた。
「いたよ。狸の匂いぷんぷんさせてね。」 そんな様子を陰で見つめる二つの存在があった。 一人は人族の親兵衛。もう一人は犬族の比瑪だ。 二人は妙椿が仕掛けた罠に騙されて市原から鴨川へと一度は向かってしまったが、弧を描くようにある一点から徐々に遠ざかっている様子から、逆に上総館山城が拠点であることを見抜き、そこから妙椿の牝狸の匂いを比瑪がかぎ分けながら追って来たのだった。 比瑪、お前はあの抜け穴を辿って、あの者どもがどこへ行ったのか探ってくれ。
そう言って親兵衛は城から二里ほど先に密かに張った蟇田の陣へと向かった。
比瑪は蟇田の兵士たちが潜む納戸の中を覗き、ざっと三十人ばかりが息をひそめて待機しているのを確認した。 彼女は納戸の隅に積み上げられた家財の影を利用して出口に向かうと、そっと廊下に出ることに成功した。 そこから庭に降り、その納戸が城のどこに位置するかを確かめて唖然とした。 そこは城の中心部から目と鼻の先だったからだ。 忍びが出入りするためには仕方のないことだし、逆に危機が迫った際の脱出路としても使われているのだろう。
「ご注進!ご注進!」 蟇田の前に一人の伝令が担ぎ込まれて来た。 「妙椿様からの連絡にござりまする。」 出陣を前に酒をあおっていた蟇田はその手をふと止めて、伝令に目を向けた。 「いかがした?」 伝令は荒い息を吐きながら妙椿からの言伝を伝えた。 「佐貫城の東方が手薄の由にて、ここを攻められるようにとのことでござりまする。」 隠密の上の行軍により、馬を使って気づかれるのを避けるため二里の道をひた走って来た伝令は息も絶え絶えそういうとばたりと倒れてしまった。 「その者を運んで手当てをいたせ。」 蟇田が命ずるとその伝令は抱えられて行った。
「兵に告げよ。夜明け前に出立する。それまでに飯を済ませ、戦の支度を整えるように伝えよ。」 蟇田は持っていた盃を一気に飲み干し、不敵な笑みを浮かべた。 妖術を駆使する妙椿がいるからには、一万の兵を持つも同じことだと確信したのだ。
夜明け前に一人の若者が佐貫城の前に立ち、門を守る番兵に何やら話し城内へと消えた。
納戸に隠れた蟇田の兵たちは、蟇田素藤の軍勢が城攻めを始めるのを今や遅しと待っていた。 板戸の隙間から夜明けの薄明りが漏れ始めるころ、ついにその瞬間が訪れた。 遠く場外から雄たけびと共に合戦が始まるのが聞こえた。 遂に出番がやって来たのだ。兵士たちは互いに目配せし、気持ちに気合を入れ、そっと納戸から忍び出てきた。 城内で応戦する者を、これから各々が他に気づかれぬように倒して行けば、佐貫城は内部から崩壊の憂き目に会うのだ。 兵士たちは廊下を進み、応戦の始まった城壁へと向かう通路へ出た。
途端。
たちまち前後を里見の兵に取り囲まれてしまい、三十人のかく乱部隊はあっという間に討ち取られてしまった。 その頃、城外では東の方に集結した蟇田の軍勢は、久留里城から駆け付けた援軍により風前の灯となっており、名もなき雑兵に蟇田は首を献上することとなってしまった。 朝日がようやく明け切った頃には既に勝敗は決していた。 伝令に化けた親兵衛により東方を攻めるように言われた蟇田は、同じく親兵衛によって知らせれた久留里城の兵士たちの待ち伏せに合い、佐貫城内に潜む者たちも比瑪を通して城主に通報された結果であった。 「犬江親兵衛様。この度のお働き誠にかたじけない。」 そう言って佐貫城主は、主君里見義実の娘伏姫の子ともいえる八犬士の一人の親兵衛に頭を下げた。 「此度の事は内密に願います。私は今伏姫様の下で修業の身。身分を明かしてはならぬと言われております故。」 そう言って、親兵衛は比瑪を伴い佐貫城を密かに後にした。
「おのれ犬江親兵衛。次にはきっと恨みを晴らしてくれる。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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