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2009.08.14
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カテゴリ:社会風俗

歴史的な裁判員制度が始まって、初の判決が先日出ました。
裁判員制度の是非については、昨年から多くのブログでも論争されていました。
「何のために導入するのか?」
「被告から復讐されないか?」
「仕事がある場合、どうするのか?」
などなど、色々議論されていました。

僕がずーっと考えていたのは、
果たして一般の民衆が 人を裁いて良いのか?
ということです。

人を裁くというのは、
お説教とは違います。
指導とは違います。
批判とは違います。
教育とも違うし 評価でもありません。

裁きは とても神の領域に近い行為です。

現代は神様が表に現れないので、仕方なく裁判官が行っていますが、
学びの少ない民衆が裁いてよいのでしょうか?

古代からジャッジの表現を天秤で表す芸術が見受けられます。
全くフェアな物理法則である天秤。

わたくしは天秤のように人をはかる事は出来ません。
美貌や印象で心が動いてしまう人だからです。
簡単に騙されてしまう私に、人を裁くことは出来ません。

裁判員に選出されて“規定にあった理由”がないと断れないのだそうです。罪になって罪人となるそうです。
でも、わたくしが選出された時は 罪を問われようとも主張します。
「出来ないからやらない」と。



博学研究家 横尾けいすけ Yokoo・D.B.Keisuke
mail to yokoo@mopera.net





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最終更新日  2009.08.14 23:59:45
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