ファビオ・ジェーダ『海にはワニがいる』
スマートフォン片手に、ヨーロッパを目指し列をなして歩く人々。ゴムボートにぎゅうぎゅう詰めになって海を渡ってくる人々。ニュースでその光景を見たのは、いつのことだっただろう?不思議だった。なぜこれほど多くの人が、国を捨て、新天地を求めるのか。言葉も文化も宗教も違う場所へ、自分たちを歓迎していない場所へ。そこでは、簡単に豊かさが手に入るから?生活を保障されるから?安全だから?良い教育を受けられるから?ニュースは一時、その話題を連日報道する。難民受け入れ拒否、移民排斥運動、日本に置き換えた場合はどうなるか。日本の、ほとんど不可能といっていい、難民認定について。ーーーそして、ゴムボートに乗った小さな子供が溺れ死ぬ。世界中が、その写真を見る。子供を、孫を、姪を、甥を、幼い日の自分を、その子供に重ねて。自分に問う。私たちは。なぜ、命を懸けて助けを求めてきた人に、手を差し伸べることが出来ないんだろう。たくさんの、本当にたくさんの、こんがらがった、大人の問題があって。でも。私は、知らないのだ。なぜ彼らが、国を出たのか。テレビ越しに見る彼らは、こちらの眼鏡をかけて見たもの。移民や難民と呼ばれる彼らは、「彼」は、「彼女」は、何を見ていたんだろう?何を思っていたんだろう?海にはワニがいる [ ファビオ・ジェーダ ]ある日、母さんは僕を連れだして言う。―ーー約束して。麻薬、武器、盗み。この3つは、けっしてやらないと。朝起きると、母さんはいなくなっている。10歳の僕を、隣国パキスタンにひとり、置き去りにして。そこから、エナヤットラー・アクバリの、長い旅が始まる。10歳から18歳まで、アフガニスタンからイタリアまでの、長く過酷な旅。彼は、アフガニスタンでは少数派のシーア派ハザラ人。ハザラ人は、多数派であるスンニ派のパシュトゥン人やタリバーンから激しい迫害を受けている。やがて先生は僕らに向かって言った。みなさん、また会いましょう。(バー・オミーデ・ディダール。)みんなの見ている前で、やつらは先生と校長を撃った。そして、学校は閉鎖されてしまった。父親はすでに殺されている。息子の安全を守れないと考えた母は、10歳の彼を隣国パキスタンへあえて置き去りにする。彼は、働く。仕事を見つけて働いてはお金をため、方法を見つけ、次の場所を求めて移動する。パキスタン、イラン、トルコ、ギリシア、イタリア。雪山を越えて、海を渡る。道中、命を落とす者もいる。そうまでして、手に入れたいもの。「ここにいたい」と思える場所。(著者とエナヤットラーのインタビュー(イタリア語)。)「先進国」と呼ばれる国では、当たり前のこと。学校へ行く、安全な場所で眠る。朝家を出て、生きて家に帰れること。それがどういうことか、考えた。ちっとも分からない。分からないくらい、恵まれた環境で生きてきた。エナヤットラーが国を出たのは、9・11の前。なので、冒頭の光景の中の一人ではない。状況は変わっている。私は何も知らない。断片的なニュースで聞きかじっているのは、いろんなものごとが上手くいっていないこと。世界はきれいごとだけでは動かない。ただ、私は知っただけ。列をなす人の中に、エナヤットラーがいる。彼にやさしくしてくれたあの人も、彼を殴りつけたあの人も。―――星を数えていなさい。息子を国から連れ出す日、母は言う。明日は試合があるのに、と出かけることを渋る息子を、好物のフルーツがたくさん食べられる場所へ行くのだと誘う。服の中に隠してしまえるほどちいさな10歳の息子を、たった一人、置き去りにしなければならなかった、母親の気持ち。もう二度と、会えないかもしれない。でも、それでも、今のこの状況よりはましだ。どこかで生きていてくれるなら。そう考えて、最後の夜、子供の寝顔を見ただろうか。母さんはふだんから表情を出さないようにしていたと、エナヤットラーは言う。でも私は、思う。夜の闇の中。すやすや眠りながら、時折手を伸ばして母親に触れ、その存在を確かめ、また安心したように眠りにつく息子。細く伸びた手足の、ちっぽけな子供。彼が生まれた日。はじめて歩いた時。しゃべった時。熱を出した時。学校へ通い始めた日。そのすべてを、思い出しただろう。飽くことなくいつまでも、子供の寝顔を見て、頬を撫でて。彼女は、百年でも千年でも、そうしていたかっただろう。永遠に夜が明けなければ良いと思うほど長く。それだけは、わかる。↑「みたよ」のクリックをいただけると、嬉しいです。これまでは一か月に読んだ本をまとめて紹介していたのですが、面白かった本は感想が長くなるので、単体で記事にしてみる試み。