カテゴリ:銀輪万葉
本日は人麻呂関連で大和新庄駅前にある柿本神社を訪ね、その足で畝傍山周辺、橿原神宮などを銀輪散歩して来ました。
柿本神社は柿本人麻呂を祀っている。社伝によると、石見国(島根県益田市)で706年頃亡くなった人麻呂の遺骸を770年(宝亀元年)この地に改葬し、社殿を建てたのがこの神社の始まりとのこと。
拝殿には褪色して殆ど判読できなくなっているが、36歌仙の歌を記した絵馬が掲げられている。このような額にすると36歌仙の36という数字に納得がゆく。縦軸、横軸、対角線どれをとっても6名となる。6歌仙の次は36歌仙でなくてはならないのだ。ということは、その次は36の2乗で1296歌仙となるのだが、これでは粗製乱造になり過ぎるし、巨大な絵馬になってしまうので、さすがに誰も言い出さなかったようである(笑)。
本殿の左(南)側に「柿本大夫人麻呂之墓」と刻まれた墓碑がある。
墓の隣に「歌塚」なる石碑がありましたが・・。その隣にあった万葉歌碑の方の写真がない。どうやら撮ったつもりで撮っていなかったようである。それでと言っては何ですが知人のN氏のホームページにその写真がありましたので、借用転載させて戴きます。
春柳 葛城山に たつ雲の 境内の続きに真言宗のお寺「柿本山影現寺(ようげんじ)」という寺がある。こちらの寺では、紀僧正真済が彫った木造秘仏「人摩呂像」を祀っているそうな。この像は首が嵌め込み式になっているのだが、夜になると月の出る方向に向くと言い伝えられている。万葉歌では「かへりみすれば月かたぶきぬ」で明け方に月の沈む方向を彼は見ているのだが。 人麻呂は石見国へ赴任する前、奈良ではここ新庄と櫟本(いちのもと、JR桜井線・櫟本駅がある。)にも住んでいたそうだが、確かあちらにも人麻呂神社と柿本寺址というのがあったように記憶します。近いうちに行ってみます。何年か前に行ったことがあり、携帯で撮った写真もあるのだが、正確な場所を忘れてしまっています。また、晩年に同棲していた恋人(妻)の墓が大和高田市根成柿という地の天満神社にあるらしいのだが、今回は見つかりませんでした。また、その内に、です(笑)。
柿本寺を後にして東へ。畝傍山を目印に気の向くまま走る。バイパスなどは面白くないので、なるべく住宅の立ち並ぶ旧道など村中の道を行く。
村中に入る手前で振り返ると葛城山に雲が立ち渡っている。上掲の人麻呂歌碑の歌「春楊 葛城山に たつ雲の・・」を彷彿とさせる眺めである。
ちょっと立ち寄った村中のお寺。いい雰囲気でありました。
曽我川を渡って少し行った処で、家並みが切れ、畑中から眺める畝傍山はなかなか美しい。
高取川は万葉では檜隈川で登場する。 さ檜隈 檜隈川の 瀬を速み 佐檜乃熊 檜隈川之 瀬乎早 君之手取者 將縁言毳 (歌意) では、本日はこれまで。続きは明日の(その2)をご覧くださいませ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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