カテゴリ:思い出
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人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。 にほんブログ村 ^-^◆ 少年の頃 浪花節(浪曲)を習いました[1] 私は昔、浪曲の手ほどきを受けたことがあります。 当時は浪花節というのが一般的な言い方でした。 いつ頃か? 誰からか? いきさつは? 何故か? ……ということですが……、 時期は、大体、10歳~13歳位の間だったと記憶しています。 それも、夏休み・春休みの間が中心でした。 教えて頂いた方は、 当時「おいちゃん」と呼んでいましたが……、 浪曲師を目指してそれなりの有名な師匠に弟子入りし、 修行を続けておられたのですが、 事情で辞めて郷里に帰ってきた方でした。 入門されていた先では、 後に歌手転向された村田英雄さんの兄弟子だったそうです。 (これは凄いことなんですが、当時は村田英雄さんと言われても その価値が分からない少年だったのです) 私たち子どもは、この魚屋さんを、 もっぱら「浪花節のおいちゃん」と呼んでいました。 いきさつですが……。 鐘崎港は今でも日本有数の漁港ですが、当時から大きな港で、 早朝から沢山の魚が水揚げされます。 それを、地域の沢山の魚屋さんが買いに来るわけです。 おいちゃんもその一人だったようで、 港で仕入れて魚屋を経営していたようです。 それだけなら、 私はおいちゃんと巡り合えていないのですが、 何軒かの魚屋さんが、店頭販売の他に行商もしていたわけです。 おいちゃんもその一人でした。 朝の8時~9時位に、大きめの自転車の荷台に、 トロ箱を積んで、田園地帯の魚屋さんの無い地域に 売りに来ていました。 昨今は余り見かけませんが、 後ろのタイヤが前よりも一回り大きくガッチリした自転車です。 私たち子供は、普段は学校に行っていますから、 会うことは無いのですが、休みともなれば家にいるので、 この魚の行商人に出会うわけです。 当時は3人位の行商の方が自転車で来られていたと思います。 ウチの母は、このおいちゃんが贔屓でした。 というか、隣近所も大体、このおいちゃんから買っていたように 思います。 他の行商人と何が違うか? 普通は、自転車を走らせながら「さかな~~、さかな~~」 「活きの良いさかなはいらんかね~」 等と叫びながら村を回るのです。 しかし、このおいちゃん違います。 「旅行けばーー、駿河の国にー茶の香り~~」等と、 浪曲を唸りながら自転車を走らせて来るんです。 「魚」という言葉は一言も発しません。 母たちに言わせるとその浪曲がとても上手で、 聞き入るほどだったとか……。 魚屋さんだというのは、すぐに知れ渡りますから、 「魚」という言葉は要らなかったのです。 もうひとつ、このおいちゃんの魅力は、売るだけでなく、 頼まれれば、魚を無料で捌いてくれていたんです。 ウチの母はこのサービスも特に喜んでいました。 作業をしている間も、皆が知っているような浪曲を 聞かせてくれて、まだ、村中にラジオのある家が2~3軒だった 時代ですから、人気を呼んだわけです。 最初、私には浪曲が変な歌……としか感じられませんでした。 大人たちが口にしていたのはほとんどが、 流行歌か民謡でしたから変な節の歌……といった印象でした。 そして、歌として聞けば決して上手な歌ではないのです。 <続く> 人気ランキングに参加しています。良かったらお願いします。 にほんブログ村 ====================================================== ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 14年間蓄積した本ブログの一部を抜粋して本にしました。 『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中巻・下巻)』です。 それぞれ200円です。(^-^) AMAZON公式サイトで「愛ことば」で検索して下さい。 良かったら、どうぞ。よろしく、お願いします。 『愛ことば・心の散歩路(ビジネス編上巻・中・下巻)』 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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