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20年近く前に なるが(早いものだ)、友人から「自ら選んだ修羅の道」と指摘された事が有る。
(ブライトなら、「セイラの選んだ道は辛いぞ」と言うところか? あるいは、♪キミは な~ぜー、キーミーはーなーぜー♪) それから月日は流れたが、やはり やっている事は変わっていない気がする。 ちなみに、最近の食事は「朝=ふりかけ ご飯、昼=カップ麺、夜=インスタント味噌汁と ご飯」と言う、「なにそれ『エスパー魔美』?」みたいな状態。 (と言うか、もうフリカケが切れたので塩で代用。昔おばあちゃんに握ってもらったオニギリを思い出す。あれにはカマボコ(乾燥して千切り)が かけて あったけど) 安●先生なら「まるで進歩してない」と言うだろう。んでも、「安●先生…××××が●●いです…」と言う状態だから仕方が無い。 それにしても、私は何を信じているのだろう? いっそ、宗教でも信じていれば幸福なのかもしれない。 ともあれ、ジェフリー・アーチャーの「隣の芝生は…」的な思考(あるいは「酸っぱい葡萄」)を取り戻したい。 ●TR的な心境の日々は、精神的に良くないから(感情の揺れ幅が大きすぎて)。 【追記】 「終わらないのは地獄」と以前、書いたが、終わってしまうのも やはり地獄では有るな。 もう2度と…い かもしれない。そう思うと…。 【蛇足】 陳舜臣の「諸葛孔明」に出てくる諸葛亮 並みの理性(と言うか客観性)が有ったら、「後 出師の表」ばりに没にしている記事ばっかりだな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.03.17 01:03:47
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