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カテゴリ:プロレス・格闘技
昭和後期、全日本プロレスに革命の嵐を巻き起こした 天龍源一郎の「天龍革命」 その歴史の第2幕とは・・・ 1987年、天龍は阿修羅原とのコンビである 龍原砲がスタン・ハンセン&オースチン・アイドルから PWF世界タッグ王座を獲得し 更に天龍が鶴田にシングルマッチで2連勝する。 1988年には天龍がPWF王者のスタン・ハンセンと 統一戦を制し、PWF・UNの二冠王となり 同日に川田と冬木のタッグチーム 「フットルース」がアジアタッグ王座を獲得、 その直後には天龍とインターナショナル王者 ブルーザー・ブロディとの間で史上初の三冠統一戦、 8月には龍原砲が世界タッグ王座を獲得するなど まさにこの時期の全日本は天龍同盟を中心に回っていた。 しかし'88世界最強タッグ決定リーグ戦 開幕戦の後楽園ホール大会前に記者会見が開かれ 馬場の口から「生活態度の問題」により 原の解雇が発表されてしまう。 これによりパートナーを失った天龍は 若手で骨のある川田利明とのコンビで出場した。 1989年にライバルであったハンセンから ラブコールを受けて「龍艦砲」を結成する。 そして天龍は6月鶴田をパワーボムでフォールし 三冠ヘビー級王座を、龍艦砲としては 世界タッグ王座を獲得。 更に最強タッグでは史上初の全勝優勝を果たすが 次第に同盟の意義は薄れていく。 1990年3月、殺人魚雷コンビとの世界タッグ戦での 敗北をきっかけに天龍とハンセンが仲間割れ。 そして4月に天龍は「革命は完了した」として 同盟の解散を宣言し川田らを全日本本隊に戻す。 4月19日、鶴田の保持する三冠王座に挑戦するも 敗北した天龍は試合後「もう終わったと思ってる」とコメントし この試合を最後に全日本を退団し新団体SWSに移籍した。 同盟の解散には「自分がいなくなった後に 残った者の居場所が無くならないように」との 天龍の思いやりからの意味もあった。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.04.17 20:11:36
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