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カテゴリ:プロレス・格闘技
「とんねるずのみなさんのおかげです」にて 石橋貴明があるレスラーのモノマネをした事で プロレスファン以外に知名度が高まった。 そのレスラーの名は悪役レスラーとして活躍し 流血大王の異名で呼ばれたトーア・カマタである。 トーア・カマタはハワイ州ホノルル出身で 日系人らしく見せる為にトーア=東亜 カマタ=蒲田と、ネーミングしたと言われている。 日系人レスラーのトージョー・ヤマモトのパートナーとして 太平洋戦争で被害者が多かったテネシー州にて NWA南部タッグ王座を奪取。 次にミツ・アラカワとタッグチームを結成し AWAとWWAの世界タッグ王座の統一王者として 1年間にわたって長期政権を築いた。 その後、派手な着物をまとった日系ヒールとして カナダの主要テリトリーを転戦し、 アブドーラ・ザ・ブッチャーと流血の抗争を繰り広げた。 1975年5月に国際プロレスに初来日し ラッシャー木村のIWA世界ヘビー級王座に連続挑戦。 金網デスマッチでも雌雄を決している。 1978年5月には全日本プロレスに初登場。 ジャイアント馬場のPWFヘビー級王座に挑戦し 38回もの連続防衛記録を重ねていた馬場を破り 第2代のPWF王者となる。 世界最強タッグ決定リーグ戦には1979年に大木金太郎、 1978年後半戦と1980年には 因縁のアブドーラ・ザ・ブッチャーと組んで参加。 1980年にはジャイアント馬場&ジャンボ鶴田、 ザ・ファンクスと並んで最後まで優勝戦線に残っている。 1979年のチャンピオン・カーニバルでは ブッチャーと対戦して引き分けているが、 カナダ時代のような抗争アングルには発展せず 全日本ではブッチャーのパートナーに回った。 1980年、ディック・マードックとの対立アングルが組まれ 3月2日に後楽園ホールで行われたシングルマッチでは マードックを相手に大流血戦を演じた。 馬場&鶴田のインターナショナル・タッグ王座には ブッチャー、グレート・マーシャルボーグ、 タイガー・ジェット・シンとそれぞれ組んで挑戦。 1982年は1月3日に後楽園ホール、7月9日に熊本にて、 ジャンボ鶴田のUNヘビー級王座にも2回挑戦した。 最後の来日を果たした1987年に現役を引退。 その後、石橋貴明により再び人気を得たカマタに フジテレビがカマタ招聘を企画したが、 相談を受けた全日本プロレス側が当人の体調面の心配や 痩せ衰えた外見によりファンのイメージを 損ねる恐れがあるとの見解から実現には至らなかった。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 【はじめての方限定!一冊無料クーポンもれなくプレゼント】悪役レスラーのやさしい素顔【電子書籍】[ ミスター高橋 ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.11.17 20:02:40
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