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カテゴリ:陰謀論批判
なんだか、つい最近の産経の 「『反基地』勢力が叫ぶいかがわしさ」 なる記事の題名に似てしまったが、あの記事とはなんの関係もない。あの記事について言えば、あのようなことを言う花岡某という記者と、それを載せた産経のほうがよっぽどいかがわしいという意見に全面的に同意する。 「国体論」 の名を借りて美濃部を攻撃した連中にとっては、美濃部もまた近代的=西欧的な知と学問を修めた帝大教授という 「権威」 だったのである。その彼に対する攻撃の根底にあったのは、明治以降の急速な 「西欧化」=「近代化」 によって様々な社会の歪みが蓄積してきた結果、明治政府の急激な方針転換によりいったんは抑え込まれていた幕末の復古思想が、「近代化」 そのものに対するイデオロギー的な反動として息を吹き返したということだろう*3。 既成の権力や権威に対する反抗であれば、なんでも賞賛しありがたがる者はただの愚か者である。それはときには、歴史を巻き戻そうとする 「反動」 と結びつくこともあることを見落とすべきではない。 たとえば 「常識」 を捨てれば直感で真理が見えてくるなどという人がいるが、本当にそうであれば、誰も苦労はしない。コペルニクスやガリレオの 「地動説」 にしても、常識を疑うというような単純なことで成立したわけではない。彼らが乗り越えた困難をそのように単純化することは、彼らの業績を称揚するどころか、愚弄することにしかなっていない。 9.11同時テロのような複雑な事件の真相が 「直感」 で分かるのなら、世の中、どんな事件も直感で犯人が分かるというものだろう。それは、複雑な法律も司法制度も、また科学的な捜査や証拠による立証も不要であり、したがって弁護人による反論も不要だというのと同じである。 ただの無知に基づき、無知に居直っただけの安易な 「反権威」 主義や 「専門家」 たたきのいきつくところは、人間が困難を乗り越えて築いてきた歴史と文明の成果を破壊し、放り捨てることにしかならないだろう。
*2:むろん、明治憲法は厳密な意味での近代憲法ではない。美濃部の 「天皇機関説」 は、復古性と近代性を兼ね備えていた折衷的な明治憲法を可能な限り近代的な方向で解釈しようとした学説であったということができる。 *3:そこには、欧米列強との対立の先鋭化による、ナショナリズムの高揚という背景があったことも、むろん無視はできない。 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080131/1201781124 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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伊藤博文の「憲法義解」(岩波文庫)の中で伊藤は、「君主はもとより法律を敬重せざるべからず」と言明しています。美濃部の学説の基礎は憲法の「産みの親」の解釈に従っているわけです。
また、陸軍刑法。これに照らせば、何人の軍人が死刑になったことか。 「昭和維新」という掛け声の下で、憲法も刑法も踏みにじって戦争に突き進んだわけですね。 「維新」という言葉、「未知数」だった近衛への期待。これから学ぶ事は意外に大きいと思うのですが。 (2008.02.21 22:35:24)
まろ0301さん
久野収と鶴見俊輔の「現代日本の思想」(岩波新書)に天皇制の顕教と密教という言葉が出てきますね。 注目すべきは、天皇の権威と権力が「顕教」と「密教」、通俗的と高等的の二様に解釈され、この二様の解釈の微妙な運営的調和の上に、伊藤の作った明治日本の国家がなりたっていたことである。 はっきりいえば、国民全体には、天皇を絶対君主として信奉させ、この国民のエネルギーを国政に動員した上で、国政を運用する秘訣としては、立憲君主説、すなわち天皇国家最高機関説を採用するという仕方である。(同書) (2008.02.22 00:57:44) |