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カテゴリ:ネット論

 早いものでもう12月である。今年も余すところ、あと一月ということになってしまった。太陽は日々その高度を下げながら、敵の前に敗走を続ける戦線のように南へ南へと後退を続けている。日の出は日々遅く、日の入りは日一日と早まり、昼は日を追って短くなりながら、それとは反対に長くなる夜に押しつぶされていく。

 12月の太陽は、天空の端を夏の陽の半分にもならぬ高さで移動する。その高さは最も高い南中時にあってすら、夏の西空の太陽よりわずかに高いに過ぎず、影は一日中長いままで、光も弱まる一方、空気も日々冷たさを増している。

 視線を窓外に転じれば、こないだまで青々としていた団地の中のイチョウ並木も、いつのまにかすっかり鮮やかな黄色に変じている。あともう少しすれば、今度はいっせいに葉を落とし始めるだろう。以前は塾に勤めていたので、年末の数日を除いて12月はたいへん忙しかったのだが、今は先生を辞めたおかげで、走り回らなくともよくなった。まことにありがたいことだ。

 古代の人々らにとって、このような一年の周期は、まさに 「死と再生」 の連鎖として受け取られたことだろう。彼らにとって、今日と同じように、また明日も日が昇るという保証など存在しないように、これまで冬のあとには必ず春が来たからといって、またこの冬のあとも春が訪れるという保証もどこにもない。だからこそ、彼らは太陽が沈むたびに明日も昇ってくれることを念じ、また太陽の力が弱まる冬には、太陽が再びその勢いを盛り返し復活することを強く願ったに違いない。

 そのような天体の規則的な運行を保証するために必要なのは、なによりも彼ら自身の神々に対する感謝であり、また強い願いであると彼らは考えていたのだろう。だから、神々に願うことと感謝を怠り忘れたならば、太陽はその規則的な運行を停止し、世界は崩壊するかもしれないという恐れすら、そこには存在したのかもしれない。

 そういう日々衰えゆく太陽に向かって、再び力を取り戻してくれることを念じ、また感謝する人々によって生み出されたのが、世界各地に残された冬至に関する様々な神話や伝承であり、冬至に関する種々の祭儀であるということになるだろう。

 古事記にある、須佐之男の粗暴な振る舞いに怒って天照が洞窟に閉じこもったという 「天岩戸」 説話は、日食とその後の太陽の復活を意味するという説もあるが、一方では、このような冬の太陽とその復活を意味するという説もある。

 ギリシア神話には、豊穣の女神デメテルが愛する娘を冥界の支配者ハーデスに奪われた悲しみのために老婆に変身し、神としての仕事を忘れて大地を放浪しながら嘆き悲しんだという話がある。このときに彼女を慰めたのも、ある王の侍女による、あの天照を笑わせたアメノウズメと同じような踊りなのだそうだ。

 巷のニュースによれば、麻生首相への支持率は就任からわずか3ヶ月でとうとう30%を切ったそうだ。これでは、どう見ても正月を越すのが精一杯だろう。もともと、党内基盤が弱く、「選挙の顔」 という一点でのみ総裁に選ばれたのに、その人気すら実はただの上げ底であり、回収不能な空手形であることが露呈したのだから、党内からの反発が噴出するのは必至である。

 「金枝篇」 を書いたフレイザーによれば、未開人の作った原始的な王国では、そのように無能さをさらけ出すことで、もはや神々の恩寵と世界を支配する呪術的な能力を失っていることが暴露された王は、怒った民によって即座にその座から引きずりおろされ、みじめにも打ち殺されたそうである。麻生首相はいくら支持率が低くなっても、そのような恐れはないのだから、なによりも現代に生まれたことをまずは神に感謝せねばなるまい。

 ところで、某所での議論を見ていて思ったことを少々。

 そこでは、5月に起きたネット上のある 「騒動」 についての議論が延々と続いているのだが、話がまったくかみ合っていない。なぜかというと、一方は具体的な話をしているのに、もう一方はそれとはまったく関係のない、「教科書」 から引き写したようなことしか言わないからなのだ。

 そもそも 「教科書」 や 「辞書」 の世界から一歩も出ない限りでは、人は間違ったことを言う恐れはない。むろん、それはその 「教科書」 や 「辞書」 の記述が正しいことを前提とはする。だが、論争において必要なのは、相手がなにを言わんとしているかを正確に理解することではあるまいか。そのような理解を怠って、全然関係のない 「教科書」 に書いてあるとおりのことを一方的にただ繰り返していても、議論がかみ合うはずもない。

 そのあまりの勘違いぶりを相手から揶揄されると、今度は反射的に稚拙な罵倒を返すこととなり、最後は頭に血が上って、「お前らはみな、~~を理解していない」 などと言い出すのだが、そもそも肝心の論点はそんなところにないのだから、おいおいと言わざるをえない。

 早い話、誰も争ってなどいないところで、術語の定義のような 「教科書」 から引き写したようなことを言っても、なんの意味もないのだが、議論に熱中して、自説を主張し、相手を圧倒することに没頭するあまり、そういうまわりを見渡す余裕というものがなくなっているらしい。どうにも困った人である。

 結局、議論において最低限必要なのは、相手がどのような問題意識を持っているかを察知し、そのうえで相手の論点と主張を理解することなのだが、「相手の言っていることはそもそも理解するにも値しない無意味なことだ」 というはなからの独断と偏見だけで、相手の言うことに最初から耳を貸そうとしない人というのは、まことにしょうがないものである。それでは、最初から議論になるはずがないというものだ。

 「教科書」 に書いてあることを書き写すだけでは、議論にならないし、そんなところからは何も生まれないのだが。 おいおい、だから、論点はそこじゃないのだってば。






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Last updated  2008.12.03 08:07:44
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Re:不毛なる正しさ、あるいは教科書から一歩も出ないこと(12/03)   tak-shonai さん
「不毛なる正しさ」 ということで、私がよく引き合いに出す 「健康のためなら死んでもいい」 というジョークを思い出しました。

「正しさのためなら、その議論が不毛でも構わない」 という人が、案外多いように思います。
一種のカルトですね。 (2008.12.03 09:11:29)

Re[1]:不毛なる正しさ、あるいは教科書から一歩も出ないこと(12/03)   かつ7416 さん
tak-shonaiさん
神聖ローマ帝国皇帝だった人の有名な言葉に(フェルディナンド一世という人らしいですが)、「たとえ世界は滅ぶとも、正義は行わるべし」というのがあります。

きっと熱烈な正義の人だったのでしょうが、世界が滅びてしまっては、正義もクソもありませんね。
(2008.12.03 12:45:21)

冷たい歴史と熱い歴史   三介 さん
レヴィ=ストロースの『野生の思考』を読んでいると、古代人はそういった「杞憂』を持つほど、天体の運行について、無知だったとは思えませんね。少なくとも呪術者レヴェルでは。むしろ意外なのは、かなりの合理的分類・概念化を出来るのに、『教科書的』に型にハマッタ解釈で、歴史の『累積的な進歩』に抵抗したその『冷たさ』の方のようです。どんな人為的な大変動も、あたかもかつてあったことのように解釈しようとする、旧約聖書の言葉なのかな?『太陽の下に新しいことは無い』って?この強い決意が何に由来するのか? 昨今の恐ろしいまでの機械化、オートメカを観ていると、この凝り固めようとする『冷たさ』の背景にある深層心理の力も案外バカには出来ないなあという気もします。おーと[自動作用]、止めたか~[止めたい!]。ま、祈っても仕方ないので、メカニズムを探るしかないとは言え、現代の『術者』としては・・。 (2008.12.05 00:38:44)

冬になりました   薩摩長州 さん
おひさしぶりです。ついこのあいだあのお方に某所で言われてしまいました。

>お前ごとき「嘘つき」が政治や哲学、経済等を論じる資格も権利もない。お前がかかる話をすることを「言論の自由を冒涜する」というのだ。ブログは閉鎖するか、あるいは花の話だけにしろ。

だそうですW。そりゃまあ、「教科書」に書いてある話で事が済めば権力に武装は必要ないですけどね。 (2008.12.05 01:23:08)

Re:冷たい歴史と熱い歴史(12/03)   かつ7416 さん
三介さん
「日の下に新しきものなし」というのは、旧約の「伝道の書」にありますね。ダビデの子、ソロモンの言葉ということになってます。

レヴィ=ストロースは、そういう歴史が万古不易に繰り返される社会を「冷たい社会」と呼び、逆に猛烈なエンジンを備えて発展・拡大を続ける近代社会を「熱い社会」と呼んでいます。

そういう「冷たい社会」では、発展は社会をむしろ不安定にさせるものとして忌避されますが、とくに外部から「近代化」が押し付けられる場合は、そういう抵抗は強烈になり、多くの軋轢をもたらします。

もっとも、アジアには歴史は存在しないというのは、ヘーゲル以来の見方でもありますが。

(2008.12.05 02:27:36)

Re:冬になりました(12/03)   かつ7416 さん
薩摩長州さん
まあ、程度の差はあれ、似たような人はあちこちにいますね。

で、さらに笑止なのが、ある程度ものを考える人なら当然の前提としている程度のことを、あたかも自分だけが知っているたいそうなことのように振り回す、世間知らずのお坊ちゃんなのですよ。
(2008.12.05 02:34:01)


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