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カテゴリ:Usual topics
新年、明けまして、おめでとうございます。
何かと閉塞観が漂う「亀甲縛り」な“今日この頃”ですが 何卒「eco_eco五座三座」の電磁波をピカー(早く本題に入れよ!!) 早速、今年も「新春交霊・・」じゃなくて 「新春恒例」御書の拝読からスタートしたいと思います。 ― 三三蔵祈雨事 ― 善無畏三蔵・漢土に亘りてありし時は唐の玄宗の時なり 大旱魃ありしに祈雨の法を・をほせつけられて候しに 大雨ふらせて上一人より下万民にいたるまで大に悦びし程に 須臾ありて大風吹き来りて国土をふきやぶりしかば・けをさめてありしなり 又其の世に金剛智三蔵わたる又雨の御いのりありしかば七日が内に大雨下り 上のごとく悦んでありし程に前代未聞の大風吹きしかば 真言宗は・をそろしき悪法なりとて月支へをわれしが・とかうしてとどまりぬ (堀日亨編纂:新偏御書 P.1469) http://www.sokanet.jp/sg/sn/gosho_text.html?key1=1469&ref=Kyogaku 「280近くもの勲章」を貰うほど、自行化他に渡って行った結果 今、世界は「日本」を含めて「幸せな状態だ」・・と言い切れるのでしょうか? 悲惨の度合いは50年前と比べ、どの程度抑えられたのでしょうか? 抑えられていません、それどころか仇になって以前よりも悪化しているのが現実 結局“比例して責任がともなう”・・・と言う事や 「裏目」と言うのを忘れて物事を進めていましたよね 池田氏の提案が場合によっては「悪い結果」で終ることも・・・ 従って実現はしたものの そんなものは「一時的な勝利」にしか過ぎなかった。 創価新報の新春特大号がソレを大きく物語っております。 (しかも2003年と2006年以降のSGI提言については触れられていない) だから、幾ら、どんなに「勲章に対する証明」など、必死に示しても 「比例して責任が掛かる事」を端折って、物事を書いてれば ただの「虚栄」にしか映らないんですよ 一支国さん 一例をあげたらキリがないけれど ルーマニアの国民を苦しめたのは、チャウセスクだったよね~ しかし、彼も池田先生から指導を受けて影響を受けているわけです。 これは、池田氏の責任なんでしょうか?チャウセスクの責任なのでしょうか? 弟子の責任か? 師匠の責任か? だから、そういうリスクを端折って奇麗事を並べても、 返って「汚しているだけ」 それと「世界が創価の味方をしている。」 ・・と思い込んでいる、創価の香具師が多いけれど、話の内容を伺うと やっぱり「一つからの情報」と尺度からしか、物事を見ていないし捉えていない しかも反論も勲章などの権威性を強調するような宣伝か 美麗辞句を並べた、現実逃避のような「芸」しか行っておらず 今、ある問題は避けている上、自分で巻いた火を消そうとしない 更に彼等は 「外国人も日本人と同じ“十界互具”を持つ人間だ」・・・という事を忘れている上 「凡夫は「性善」と「性悪」の両方の側面を持つ」・・・という意味が判っていない ところで「御書を全部拝読した」・・・と自慢している菊川さんは 「当体義抄」をどのように解釈しているのでしょうか? そういった意味も含め 今回は報恩抄から「三説」 拝読して今回は終わりにしたいと思います。 ― 報恩抄 ― 世間をみるに各各・我も我もといへども国主は但一人なり 二人となれば国土おだやかならず家に二の主あれば其の家必ずやぶる 一切経も又かくのごとくや有るらん 何の経にてもをはせ一経こそ一切経の大王にてはをはすらめ 而るに十宗七宗まで各各・諍論して随はず 国に七人・十人の大王ありて万民をだやかならじいかんがせんと疑うところに一の願を立つ 我れ八宗十宗に随はじ天台大師の専ら経文を師として一代の勝劣をかんがへしがごとく 一切経を開きみるに涅槃経と申す経に云く「法に依つて人に依らざれ」等云云 依法と申すは一切経・不依人と申すは仏を除き奉りて 外の普賢菩薩文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの諸の人師なり (堀日亨編纂:新偏御書 P.294) http://www.sokanet.jp/sg/sn/gosho_text.html?key1=294&ref=null 「我滅度の後・後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶して 悪魔・魔民・諸の天竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便りを得せしむること無けん」等云云 此の経文若しむなしくなるならば 舎利弗は華光如来とならじ 迦葉尊者は光明如来とならじ 目ケンは多摩羅跋栴檀香仏とならじ 阿難は山海慧自在通王仏とならじ 摩訶波闍波提比丘尼は一切衆生喜見仏とならじ 耶輸陀羅比丘尼は具足千万光相仏とならじ、三千塵点も戯論となり 五百塵点も妄語となりて 恐らくは教主釈尊は無間地獄に堕ち 多宝仏は阿鼻の炎にむせび 十方の諸仏は八大地獄を栖とし 一切の菩薩は一百三十六の苦をうくべし いかでかその義候べき、其の義なくば日本国は一同の南無妙法蓮華経なり されば花は根にかへり真味は土にとどまる (堀日亨編纂:新偏御書 P.329) http://www.sokanet.jp/sg/sn/gosho_text.html?key1=329&ref=null ― 報恩抄送文 ― 親疎と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ御心得候へ 御本尊図して進候・此の法華経は仏の在世よりも仏の滅後・正法よりも像法 像法よりも末法の初には次第に怨敵強くなるべき由をだにも御心へあるならば 日本国に是より外に法華経の行者なしこれを皆人存じ候ぬべし (堀日亨編纂:新偏御書 P.330) http://www.sokanet.jp/sg/sn/gosho_text.html?key1=330&ref=null 新年の初詣は 一体・・何が叶うかな? ソレ行け!香具師は「村内八王子」 カンカンカン☆\(・∀・) 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010年01月01日 07時35分43秒
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