テーマ:国内旅行について(2617)
カテゴリ:時事ネタ・主張
木曽路はすべて山の中である。『夜明け前』by島崎藤村
文豪「島崎藤村」のふるさと馬籠宿は、木曽11宿の最南端、美濃との国境にあり、 山の斜面に沿った全長600m余りの「坂に開けた宿場」です。 この馬籠、ついこの間までは長野県でした。 しかし、平成の大合併によって、県を越えて、岐阜県に! この越県合併は今に始まったことではない。 今から40年以上前、昭和の大合併の時にも、馬籠(まごめ)を含む山口村は、長野から岐阜にという話が出た。 県境に位置する山口村民にとって、生活する上で身近なのは岐阜県側。 中津川市まで車で15分とかからない。 そのため、馬籠(山口村)と岐阜・中津川は、風俗、経済、血縁など古くからの断ち難いつながりがあったからだ。 けれど、当時の長野県議会は山口村の決定を許さなかった。 信濃の文豪島崎藤村と、その生誕地の馬籠を「美濃にくれてやるわけにはいかない」という理由からだった。 越県合併問題は国の裁定にもつれこみ、村内の合併賛成派と、藤村の生誕地を渡したくない合併反対派の抗争は激化の一途をたどった。 賛成派は中津川市民を巻き込んだ千八百人規模の集会を開催。 機動隊まで動員された。 そんな中、五八年九月、当時の岸信介首相は、衝撃的な裁定を下した。 「神坂村を分村する」。 小さな村の意思は県と国の決定の前に、もろくも押しつぶされた。 新しくできた県境は村民たちを完全に裂いた。 長野県側に残った人々は合併賛否の意見が合わないと、親類でも殴り合いのけんかになり、「合併反対派の家」というブリキの看板を立てられる家まであった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 平成の大合併で失われていく地名、新しく増えた地名「バカ名」を調べていると、 長野県だった馬籠が県を超え、岐阜県になったことを知った。 合併して、生活には圧倒的に岐阜県・中津川市が便利になったとはいっても、 長年親しんだ県が変わるのは、住民として複雑な気持ちだったのではないだろうか。 ・・・・・・・・・・・・・ ■9月12日■馬籠、妻籠。 ■9月13日■白骨温泉/松本・開智校 ・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★9月23日*お月見・・・団子刺し*UP お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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