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2008.10.26
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テーマ:愛しき人へ(903)
カテゴリ:父の麦わら帽子
西条柿 「菜園が人生だ。庭師が添い寝すれば野菜も喜ぶ。」

先日見た映画「画家と庭師とカンパーニュ」の中で庭師の言った言葉が印象に残っている。

映画の中で、庭師は、衰弱して起きていられないほどだった。
しかし、庭師は、庭に寝て、作業をしていた。

父は80歳になった頃、大病をした。
明日が手術という日に私は、岡山の家に行った。
父は、痩せて、歩くこともままならないようなほど、衰弱していた。
しかし、近くの畑に行くという。

父は、杖をついて、私は、鍬をかついで、近くの畑に行った。

そこで、父は、畑の土を鍬で返した。
種を蒔くでもなく、収穫をするでもなく、畑の土を掘り返した。

フラフラしながらの様子が、見ていられなくて、
「私がするから・・・」と言って鍬を取り上げた。

最後は、ちょっと貸してといって私から鍬を取り上げ、仕上げをした。

「今、こうしておかんと、明日、手術をしたら、いつ出来るか分からんからな・・・。」
父は、そう言って、満足そうに、鍬を入れた畑をながめた。
父にとって、植物を育てることは、土を作ることだった。

私は、偶然、柿の木の実生(みしょう・種子から発芽したばかりの植物のこと)を見つけた。
そして、それを、そっと抜いて、家の前の畑に植えた。
子どもの頃から、自分の家に柿の木がないのが、不満でしかたがなかったからだ。
柿の木のある家は、私の理想だったのだ。

翌日の手術は5時間もかかる大手術だった。

無事に事なきを得た父を見舞って数ヵ月後、また岡山に行った。

父は、柿の木の実生(みしょう)を、買って来た柿の苗にかえて育ててくれていた。
「こっちの方が美味いからな」と父は笑いながら言った。
誰も住まなくなった実家の庭には、今も柿の実がなっている。

明日は、手術、その後、どうなるか分からない時も、父は庭を気にかけていた。

父にとって、植物を育てることが人生だった。
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◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。
★10月26日*父の麦わら帽子:目次* UP
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Last updated  2013.03.06 20:53:57
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