テーマ:愛しき人へ(903)
カテゴリ:父の麦わら帽子
「菜園が人生だ。庭師が添い寝すれば野菜も喜ぶ。」
先日見た映画「画家と庭師とカンパーニュ」の中で庭師の言った言葉が印象に残っている。 映画の中で、庭師は、衰弱して起きていられないほどだった。 しかし、庭師は、庭に寝て、作業をしていた。 父は80歳になった頃、大病をした。 明日が手術という日に私は、岡山の家に行った。 父は、痩せて、歩くこともままならないようなほど、衰弱していた。 しかし、近くの畑に行くという。 父は、杖をついて、私は、鍬をかついで、近くの畑に行った。 そこで、父は、畑の土を鍬で返した。 種を蒔くでもなく、収穫をするでもなく、畑の土を掘り返した。 フラフラしながらの様子が、見ていられなくて、 「私がするから・・・」と言って鍬を取り上げた。 最後は、ちょっと貸してといって私から鍬を取り上げ、仕上げをした。 「今、こうしておかんと、明日、手術をしたら、いつ出来るか分からんからな・・・。」 父は、そう言って、満足そうに、鍬を入れた畑をながめた。 父にとって、植物を育てることは、土を作ることだった。 私は、偶然、柿の木の実生(みしょう・種子から発芽したばかりの植物のこと)を見つけた。 そして、それを、そっと抜いて、家の前の畑に植えた。 子どもの頃から、自分の家に柿の木がないのが、不満でしかたがなかったからだ。 柿の木のある家は、私の理想だったのだ。 翌日の手術は5時間もかかる大手術だった。 無事に事なきを得た父を見舞って数ヵ月後、また岡山に行った。 父は、柿の木の実生(みしょう)を、買って来た柿の苗にかえて育ててくれていた。 「こっちの方が美味いからな」と父は笑いながら言った。 誰も住まなくなった実家の庭には、今も柿の実がなっている。 明日は、手術、その後、どうなるか分からない時も、父は庭を気にかけていた。 父にとって、植物を育てることが人生だった。 ・・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★10月26日*父の麦わら帽子:目次* UP ・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.03.06 20:53:57
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