カテゴリ:お出かけ
■2017.11.18 2006年に重要伝統的建造物群保存地区に選定された■奈良県宇陀松山地区■は、かつての大宇陀町である奈良県宇陀市の南西部に位置している、長い歴史を持った町。 江戸時代、宇陀松山藩の陣屋町として栄え、現在もその風情を残している。 ボランティアガイドさんに案内してもらって、古い町並みを歩いた。 集合場所の道の駅から、少し歩くと、宇陀川がある。 「花の木橋」の上から、 下流をのぞむ。 橋の模様は、戦国の武将・織田家の家紋。 宇陀は、織田信長の次男、■信雄( のぶかつ)■以来、この地をおさめたのだ。 天下人であった織田信長の子であるという所以から国主格も与えられ、この地をおさめた。 ■オモテとウラの「水際の風景」■ 大宇陀の歴史的まちなみを特徴づけるものとして、宇陀川・前川の話をします。 宇陀川はかつて、城下町を護るための「堀」としての役割を担っていました。 現在でも宇陀川に架けられた橋を渡ると、町に入った、外へ出た、と強く認識することができます。 宇陀川はこのように城下町の名残を示すと同時に、自然を身近に感じさせる魅力ある景色を演出しています。 また、大宇陀の町並みの中には「前川」と呼ばれる水路があります。 当初、前川は道の中央を流れていましたが、後に両脇につけかえられたと考えられています。 町並みの中にある水路の用途を見てみると、南から北へ流れる前川の場合は生活・防火用水を供給するため、東西方向に走る水路は主に排水処理のため整備されています。 (▲赤い色の板が水量調節用。 水路はところどころで、カーブし宇陀川へと帰っている。) 排水路との立体交差を用いて給水量を調節する場所や、火災時に水をせき止めるために板をはめる溝等、前川には様々な工夫が見られます。 町並みを火災から守るため、町の両側に小さな水路がある。 昔は、水路は道の真ん中にあったというが、車が通るようになってから両側になった。 ■ 道の真ん中に水路の流れる長崎県島原市の武家屋敷跡。■ 宇陀も、こんな感じだったのだろう。 ▲家の奥に水を引き込んだ家。 水は、家の中を流れて、前川に帰る。 水路は防火用というだけあって、 ■防火用水の水槽■が沢山残っている。(明治牛乳率高し。) ここは以前、宿屋をやっていた家なので、水槽の上に石を貼りつけて、自然観を出している。 ▲「文化」という年号が見える石の防火水槽。 ▲木製の防火用水槽は、はじめて見た。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.11.20 13:38:17
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