テーマ:■大阪探検■(691)
カテゴリ:八百八橋散歩
江戸時代、肥後橋の北詰の中之島に肥後藩の蔵屋敷があり、このあたりは肥後島町と呼ばれた。 明暦3年(1657)の「新板大坂之図」には肥後殿橋とあり、古くはこう呼ばれたこともあったらしい。 肥後藩の蔵屋敷は元禄時代になって 中之島西部の越中橋北詰へ移転したが、橋名と町名はそのまま残った。 肥後・渡辺橋の通りは、明治7年にすでに造られていた大阪駅へのメインストリートであったため、早く鉄橋化されたものと思われる。 1885年(明治18年)の淀川大洪水で流失し、1888年(明治21年)に渡辺橋と対になる現在の位置に架け替えられ、鉄橋となった。 大正15年に第一次都市計画事業によって完成した橋は、中央部がスパン27.0mの鋼アーチよりなり、両側に橋台兼用のコンクリートアーチがあった。 意匠の様式はスパニッシュルネッサンス式と呼ばれ、河川上の橋脚の位置に豪華な飾塔を立て、非常に華やかで、かつ重厚な作りの橋であった。 この橋も戦後になって四ツ橋線の地下鉄3号線を通す工事に伴って架け替えられた。 円盤状の支柱をもつユニークな高欄をもっていたが、平成6年に橋面と高欄部の改装が行われ、より華やかなデザインのものになった。 2003年(平成5年)に橋面と高欄部の改修が行われたが、その際、 1966年に架けられた当時の親柱が橋の南詰東側に保存された。 肥後橋の南東詰め側に■「あさが来た」■ のモデルになった女性、広岡朝子に関係のある 「大同生命保険の大阪本社ビル」がある。 現在の大同生命保険の大阪本社ビルは、ヴォーリズ設計の旧本社ビルを建て替えて誕生した。 大同生命の本社は昭和47年に吹田市江坂町に移転したが、本社ビルの完成にあわせて平成5年、再びここ土佐堀の地に戻ってきた。 このビルを特徴付けている下層部の扇型の広がり。 ヴォーリズの流れをくむ一粒社ヴォーリズ建築事務所と日建設計の設計。 ■けったいな姿をしたビルヂング「大同生命大阪本社ビル」。■ 肥後橋や大同生命は、今は埋め立てられた「西横堀川」のそばだったので、当時としては立地条件のよいところだったのだろう。 ■土佐堀川に架かる橋■ ■天神橋■ ■難波橋■ ■栴檀木橋(せんだんのきばし)■ ■淀屋橋(よどやばし)■ - 御堂筋(国道25号)の橋 ■錦橋(にしきばし)■ - 歩行者専用の橋 肥後橋(ひごばし) - 四つ橋筋の橋 築前橋(ちくぜんばし) 常安橋(じょうあんばし) - なにわ筋の橋 越中橋(えっちゅうばし) - 歩行者専用の橋 土佐堀橋(とさぼりばし) - あみだ池筋の橋 湊橋(みなとばし) - 新なにわ筋の橋 端建蔵橋(はたてくらばし) にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.03.12 11:47:57
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