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2022.02.07
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テーマ:俳句(530)
カテゴリ:詩歌・名文


 雪降れば佃は古き江戸の島   北條秀司

        
2020年、東京・佃島に行った。
その時、佃島にあったのが、「雪降れば・・・」の俳句の碑だった。

俳句の作者の北条秀司は、1902年(明治35年)11月7日 - 1996年(平成8年)5月19日)は、劇作家、演出家。
大阪生まれで1926年に上京。
1926年といえば、大正15年、昭和元年。
その頃は、まだ佃島は、昔の景色が残っていただろう。
 佃島の光景を愛していた劇作家の北條秀司が、1957年に佃の渡しを舞台に新派俳優花柳章太郎のために書き下ろした芝居に『佃の渡し』がある。
初演以来高い評価を受け、滅びゆく日本の古き良き情景を舞台で再生させた名作として、昭和39年には花柳十種のひとつに選ばれているなど、北條、花柳、そして新派にとって欠くことの出来ない代表作のひとつとなっている。

 ■「随筆 明治の東京」■という明治、大正、昭和を生きた画家・鏑木清方には、佃島のことを書いた文章があった。(下の文章)

■築地界隈■昭和8年3月発表
(略)明石町と入り江を挟んでいるのは佃島である。
今では相生橋で深川につながり、月島と境もわからないようになってしまったが、まだ月島埋め立ての行われなかった時分は、橋もなければ、全くの離れ小島、
 
大きいものは住吉神社の大鳥居だけ、島人というのは漁師ばかりで、名物佃煮をこしらえる家には、年中洗ったことのないという大釜が据えてある。(略)
 この島に生まれた男の子は、十歳になるかならないうちに天秤棒を担がされて、冬は蜆(しじみ)、夏は鰯(いわし)を売りに出される。
京橋いまわりで育った子供は、悪戯をすると佃へやってしまう、と脅かされて思い出をもたぬものはすくなかろう。
2020年東京・佃


立春は過ぎたので、もう雪は降らないだろうか・・・。
しかし、寒さは、まだまだ厳しい。

武陽佃島とは隅田川の河口にあった小島であり、図の右側の家が密集している場所が佃島で左側の木立で覆われた部分は石川島です。

現在の東京都中央区佃島は、江戸時代大坂の佃村の漁夫が江戸へ移り、砂州を埋め立てた場所で、
彼らの故郷にちなんで佃島と名付けられたそうです。
佃島周辺で採れる海産物を使って作った煮物が「佃煮」は今でも有名です。
図には7艘の船が描かれゆったりとした雰囲気を醸し出しており、
佃島からくっきりと綺麗に見える富士山が描かれています。

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Last updated  2022.02.08 11:26:26
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