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2023.06.19
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テーマ:国内旅行(1458)
カテゴリ:国内旅行

■2023.5/14-2
阿波十郎兵衛屋敷の後、徳島中央公園へ。
徳島中央公園は、徳島城跡を利用した公園。
■徳島城■
1585年(天正13年)、豊臣秀吉の四国征伐に勲功のあった蜂須賀家政(蜂須賀正勝の子)が阿波1国18万6000石を賜った。
入封当初は徳島市西部にあった一宮城に入城したが、入封早々に現在の地に大規模な平山城を築造し、1年半後の1586年(天正14年)完成した。
 以後、大坂の陣の戦功等により淡路7万1千石の加増がされ、江戸時代を通して徳島藩蜂須賀氏25万石7千石の居城となり、明治維新を迎える。

■徳島中央公園■
城跡の大半が1906年徳島公園(現 徳島中央公園)として開設され、
1910年一般に開放された。

山内の城山原生林は徳島市天然記念物に指定されている。

山麓では1922年(大正11年)、鳥居龍蔵により城山の貝塚が発見され調査された。
現在、山腹にアオサギが繁殖し糞害で周辺の樹木が枯れる等の問題が起こっている。
 夏になると阿波踊りの練習をするために有名連がここで練習する風景が目立つ。
また、付近の幼稚園や小中学校の遠足としてよく利用されている。

徳島市立徳島城博物館は、城山の徳島中央公園内にある博物館。
徳島城表御殿の跡地に建設され、主に徳島藩や蜂須賀家に関する歴史・美術資料を収集・展示している。

常駐ガイドさんに案内してもらった。

蜂須賀家は、跡継ぎの男子がいない時には、養子をもらっていた。
その養子の条件が、身長170㎝以上だという
当時の170㎝といえば、今の180㎝以上になるのではないか。
蜂須賀家は、低身長の男子が多く、養子で挽回しようとの思いだろう。
 蜂須賀家といえば、蜂須賀小六を思い出す。
蜂須賀氏が用いる家紋は複数ある。
足利義昭から正勝が賜ったとされる桐紋(五三桐)を、
主君羽柴氏の家紋を憚って、転じた柏紋(抱き柏)。

そして平氏打倒の挙兵の際に源頼政が高倉王(以仁王)より賜ったという万字(左万字)(蜂須賀万字)、稲丸などである。

桐紋や万字は源姓を由来にする家紋で、特に万字紋は(少々疑わしいが)、摂津源氏頼弘流を示すものである。
 明治時代、蜂須賀茂韶侯爵が明治天皇に拝謁するため宮中に参内して応接室で天皇を待っていた際、愛煙家だった彼は卓上に置いてあった煙草を一本失敬した。
 その後入室した明治天皇は煙草が1本なくなっていることに気づき
「蜂須賀よ、先祖は争えぬのう」と「盗賊」だったといわれる蜂須賀小六を引き合いにしたジョークを言ったという。
しかし茂韶は明治天皇が蜂須賀小六を盗賊だと思っていることにショックを受け、歴史学者の渡辺世祐と喜田貞吉に依頼し、蜂須賀小六が盗賊ではないことの証明を依頼したという。
 これに対して喜田は
蜂須賀小六は確かに盗賊ではありましたが、戦国時代において盗賊は一概に恥ずべき職業ではなかった、という事実であれば、歴史的に証明可能です」と伝えたが、そんなことを明言されては困ると有耶無耶になったという。


▲緑が一年で一番美しい季節だった。▼

靴●5971歩

■四国へ■2023.514~5月28
■5月14-1■フェリーで四国へ/人形浄瑠璃
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Last updated  2023.06.19 00:10:51
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