テーマ:国内旅行について(2598)
カテゴリ:国内旅行
■2024.10/16(水)-2 江戸時代に名所として多くの人が訪れた「日和山」ガイドさんの案内で向かう。 ガイドさんの着ているシャツは、新潟の地図が!! 道には、ところどころに砂が見える。 新潟砂丘は70キロに及ぶ広大な砂丘だった。 新潟の砂は、新潟市を流れる信濃川、阿賀野川が運んできたのだ。 海の方に向かって歩くとき、普通ならどんどん地面が低くなる。 しかし新潟では、反対に坂道を上ることになる。 上の写真の塀も、坂道仕様になっている。 そして、松。 松が見えたら砂地と思ってよい。 反対に、柳の並木が見えたら、そこには、かつて水路があったと思ってよい。 ▲手前が高くなっていて海の近く。 一時はこの展望台の手前まで海が押し寄せてきていましたが、近年の保全工事のおかげで今の状態に。 水量が多すぎても少なすぎてもダメ。 新潟では今も水との闘いが続いているのです」 日和山に登る。 北前船等の帆船の行き交う時代、みなとに船が入出港する際「水戸教(みときょう)」と呼ばれる水先案内人が、近くの高台にて天候や海上の状態を観測していた場所が「日和山」と呼ばれていたそうです。 新潟だけではなく、全国に80か所以上もあるそうで、 現在も方角を見るために使っていた「方角石」が各地の日和山に残されています。 日和山の山頂には、住吉神社が・・・。 住吉神社は、航海の神・港の神として祀られた神社である。 ここにも、かつての北前船で栄えた港の痕跡が残っている。 新潟県だけでも4箇所。 *日和山 (新潟市) - 新潟県 新潟市 新潟港。 *新日和山 - 新潟県 新潟市 新潟港。上の日和山の後継で、現在は水没。 *日和山 (佐渡市小木) - 新潟県 佐渡市 小木港。 *日和山 (沢崎) - 新潟県 佐渡市 沢崎港。 ガイドの野内さんは、全国の日和山に行ったというツワモノ((´∀`)) 日和山(ひよりやま)は、日本各地にある山の名前である。 船乗りが船を出すか否かを決める際に日和を見る(天候を予測する)ために利用した山で、港町に多い。 船乗りにとって日和山は寄港する港ごとにあるもので、地名というより港湾施設の一種である。 日本海を見ながら 「あそこが佐渡です」とガイド氏。 うっすらと佐渡の島影が見える。 荒海や佐渡によこたう天の川 芭蕉 今回の旅は、芭蕉の「奥の細道」と重なるところが多い。 東北を廻った後で、新潟に来た芭蕉とは反対に、私たちは、新潟県の後、東北に入る。 そして、その接待場が「浜茶屋」の起こりなのです。 浜遊山がいつごろ始まったのか定かでありませんが、幕末にはすでにその風習があったことがわかっています。 「日和山は住吉神社もあれば有名な団子茶屋が砂丘の上に甘い団子で塩辛くなった喉を和ぐべく待っている。 海岸の傍らには東宮殿下御成りの際の休憩所もある。 此処もまた納涼地には持って来いの場所で遊人や職人衆の江戸っ子式な遊び振りを見せるところ」(大正10年7月22日付/『新潟新聞』夕刊) そんな日和山の5合目にカフェがあって、ちょっと寄らせてもらった。 ■日和山五合目 hiyoriyama coffee■ ここ日和山の歴史に目を向け、光をあてたのが、今回、ガイドをしてくれた野内(のうち)さん。 時々、SNSで通知して、市内を案内することがあるそうだ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 野内さんの車で、この日、二人目のガイドさんのところまで連れて行っていただいた。 二人目のガイドさんの案内で、新潟市内の花街を廻った。 文人・政財界人も愛した伝統と格式ある料亭「鍋茶屋」。 創業は弘化3(1846)年、江戸末期創業の料亭。 文人、政財界の著名人から「新潟に鍋茶屋あり」とうたわれてきた料亭。 店名の由来は創業者がすっぽん料理を始めたことによるもので、店のしるしもそれにちなんだ亀甲となっています。 新潟の民謡・新潟甚句にも 「〽新潟焼けても 鍋茶屋焼けぬ」とも歌われたほどの、新潟を代表する料亭で建物は国の登録有形文化財。 古町八番町側の東新道は、この料亭があるため「鍋茶屋通り」とも呼ばれています。 この店は、塀に竹でデザインした意匠が、さすが、粋だね!! 新潟に大阪屋あり秋の暮れ はるな 万代橋が見たかったけど、暗くなっていて残念・・・。😞 帰りに絶対にみよう・・・。 この日は、二人とも疲れ果てていた。 ●17754歩 10/16(水)■越後・東北南部行:出発/新潟を地形と歴史を感じながら歩く■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.11.07 00:14:16
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