カテゴリ:銀輪万葉
気分一新、久しぶりに電車&自転車で遠出をすることとした。 有間皇子ゆかりの藤白坂、岩代を訪ね、岩代からは、白浜まで折りたたみ自転車「トレンクル」でサイクリングして来ました。和歌山に宿泊し、ついでに和歌山城や和歌の浦を訪ね、片男波公園の万葉館も見学して来ました。 有間皇子は孝徳天皇の子である。大化改新の後、天皇に即位したのは皇極女帝の弟の軽皇子(孝徳天皇)であったが、政治の実権は中大兄皇子に握られ、孤立する中で、654年10月孝徳帝は病床に臥し、そのまま帰らぬ人となってしまう。天皇位は皇極が重祚(斉明)。有間皇子は天皇の子であるから、皇位継承権ありであるが、中大兄皇子が実権を掌握している政治状況では、むしろそれは生命の危険を意味していたのであろう。
家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草まくら 旅にしあれば 椎の葉に盛る (有間皇子の墓) 歌碑と墓のある処から坂道は登りになってゆき、やがてきつい坂道となり、「藤白のみ坂」となるが、藤白の坂は、自転車では無理にて、肩にかついで歩いてゆくという「偐家持スタイル」で登り始めたが、前日からの雨のせいか、道は川のようになっていて上の方からどんどん水が流れて来て、まるで沢登りだ。靴が濡れ切ってしまう前に、途中で諦めて引き返すことにした。進む勇気はなくても、引き返す勇気なら、偐家持は持っているのだ。
藤白の み坂を越ゆと 白たへの わが衣手は ぬれにけるかも 藤白の み坂小川と なりぬれば わが靴濡れて 越えかてぬかも(偐家持)
<付録> 藤の実は 俳諧にせむ 花の跡 (芭蕉) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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